ファーレンハイト/Fahrenheit
 午後十一時五十四分

 バックミラーに松永さんの姿が見えた。
 走ってる。ものすごく走ってる。

 ――四分遅れ。

 去り際に離れ難かったのかな。この前と同じくやっぱり遅れた。松永さんが少しでも元気になってくれるのなら、四分なんてどうでもいい。

 助手席のドアが開き、シートに滑り込んだ松永さんから、この前お会いした時の笹倉さんの香りがした。

「悪い、遅くなった」

 顔を向けて、しっかり松永さんを見ると、目が赤い。でも、悩みは無くなったように思えた。

「裕くん」

 シフトレバーをドライブに入れ、サイドブレーキを解除した時に松永さんから声が掛かった。

「ありがとう」

 何についての感謝なのかは分からない。でも、聞かなくてもいい。「いえ」ただそれだけ言って、発車した。

 ◇

 優衣香は引越しを考えていて、物を減らしている途中だと言っていた。俺としても、優衣香のマンション付近を野川に知られてしまった以上、今まで以上に気を遣う必要があり、「いいかもね」と優衣香に伝えた。

「もう少し広いところにしようと思ってるから、敬ちゃんの荷物を、もっと置けるからね」

 優衣香は俺との未来を見ていた。
 嬉しかった。
 でも荷物と言っても、俺は物を持たないようにしているから服くらいしかない。
 俺は優衣香さえいてくれれば良い。


「松永さん、顔に――」
「言うな。分かってる」
「良いですね、幸せそうで!」
「裕くんのおかげですよー」

 公用車の中で、二人で笑い合いながら、俺は相澤の幸せが何なのか、知りたいと思った。
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