ファーレンハイト/Fahrenheit
 加藤は『いい男』と『ただの男』の時の俺を知っている。それとの整合性を脳内で取っているのだろうか、何かに気づくと小さく頷いている。

「俺はね、彼女が結婚したら潔く諦めようとしたけど、いつまで経っても彼女が結婚しなかった」

 俺のその言葉は、七年前に自分が言った言葉と同じだと気づいたのだろう。小さく息を吐いて、「だからお話してくれたんですね」と言った。

「もちろんそれもある。でも、俺が言いたいのはね、俺は二十二年も彼女だけを想い続けた。奈緒ちゃんも長いよね。だから奈緒ちゃんがどうにかすれば、相澤だって気持ちは動くって事を言いたい」

 加藤の目の動きが止まった。

「それとね、奈緒ちゃんは自分を愛してくれる男って今までいた事ないでしょ? 自分の事を真剣に考えてる男って意味だよ。そんな男が自分を求めてるって、……どう、だった?」

 加藤は動揺している。何があったのかは分からないが、葉梨は昨夜もいい男だったのだろう。

「俺は、一人の相手を長く想い続けた者同士としてね、奈緒ちゃんも幸せになって欲しい」

 顔を上げて俺の目を見た加藤は、頬を緩ませた。

「奈緒ちゃん、葉梨との事、話してくれたら嬉しいな。出来れば生々しい話」
「また土下座したいんですか?」
「したくないです。スミマセン」

 加藤と笑い合ったが、加藤の笑顔は今まで見たことのない笑顔をしている。笑うと片方にエクボが出来るとは知らなかった。

『一人の女だけを夢中にさせる男は、いい男ですよ』

 そう加藤は言っていたが、葉梨は加藤を一晩で夢中にさせたのか。美女が野獣に恋をしている。

「じゃ、葉梨に聞くよ」
「お好きにどうぞ」
「で、バラすような男なら損切りする、という事で良いのかな?」
「ええ、そうです。さすが松永さん」
「ふふっ。奈緒ちゃん、いい男を損切りは惜しいんじゃないの?」

 口元を緩めた加藤の目は、今まで見た事のない目をしていた。
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