魔界の王子は愛をご所望です

ぶっきらぼうな優しさ

「で? 導き手サマ。愛とは何か──教えてもらおうじゃねえか」

食事を済ませてからクロとヤミに案内されて着いた部屋は書斎に似ていた。
書き物机に座っていたシンは振り返るなりこう切り出したのだから鼻白む。食事の席であんな別れ方をしたから気まずいはずなのに、彼はそういう繊細さとは無縁のようだ。

「……そんなの、こっちが知りたいですよ」

私に限らず、愛とは何かを説けるひとなんてそうそう居ない。赤ちゃんはどうやって産まれるの、より難問だ。
私は哲学者でも宗教家でもない。ただの平凡な一市民だ。
愛している、と歯が浮きそうな台詞を囁いてくれたアイツはまったく同じ台詞をあの女にも囁いていただろうし。

「不貞腐れてんな。失恋したてだもんなァ?」
「な! なんでそれを……!」
「好きなんて信じられないとかなんとか言ってただろ。大方そんなもんだと思ったが……なんだ、当たりか」

ニイと口の端を歪ませた表情は本物の悪魔だ。魔界の王子なんて悪魔みたいなものだろうから、この表現は間違っていないはず。
ぐっと奥歯を噛み締めてソファに座ればクロとヤミがそれぞれ両肩に留まった。翼が耳のあたりでもぞもぞ動いて集中できない。

「し、知ってたならどうしてわざわざ私を連れてきたんですか。もっと恋人に不自由してない人を選べば良かったのに」
「お前が“アタリ”だった。それだけだ」

アタリって、アイスの当たり棒じゃないんだから……
何を言っても無駄な気がして、俯いて黙り込む。すると両側から甲高い声が私の代わりに騒ぎ始めた。

「ゴシュジン、ナイテル! ヒドイ!」
「イケナインダー! シン、イケナインダー!」
「お前らなあ……」

私の肩から飛び立つなり、キィキィと喚き回るクロとヤミに辟易したシンがうんざりと天井を仰いで息をつく。
机を指でトントンと叩くと私に相対する形で座り直した。

「もういい。お前の失恋について話せ」
「ええっ!? どうしてそんな話……」

謝罪の言葉でも来るのかと思った私が甘かった。そこを抉ってくるとは悪魔か。魔王か。違う。魔王の息子だった。

「経験から話を進めた方が早いだろ。お前の役割にも関連するんだ、さっさと話せ」
「う……」

思い出したくもない記憶の蓋を開けてぽつりぽつりと語り出す。
バイト先で知り合って、ご飯に行く関係になったこと。
意外とマメで思いやりがあったこと。
お互い就職して仕事に振り回されていたら会う機会が少なくなったこと。
それでも自然消滅は嫌で、連絡をとっても段々返信速度が遅くなって、やっと取れた代休を使って内緒で会いに行ったら──あの現場を見たこと。

「ふうん」

つまらなさそうにそっくり返って聞き流され、怒りがふつふつ沸いてくる。

「は、話せって言われたから話したのに……!」
「それで? お前はソイツを殴ったのか? 罵倒したか? 相手の女を追い出したか?」

やる気のない顔からつらつらと飛び出した問いは、あの時一瞬で頭を駆け巡ったけれど実行には移せなかったものばかりで。

「……なにも、してないですよ。殴ったりしたらこっちが痛いもの」
「ハッ、綺麗事を。スカッとはするだろ」
「今なら文句もひとつやふたつ言えるだろうけど、あの時は混乱してて、何も言葉なんて出てこなくて……」
「度胸が足りねえな。敵に遭ったらまず威嚇。先手必勝だ」
「魔界、野蛮過ぎる……」

おののいて壁にへばりつく。そう言えばまだ私の椅子も用意されていない。
こんな立場でなくとも私は舐められてばかりだ。もっとしっかりしておけば、あんな惨めな思いをすることもなかったのに。
好きでいてくれるように努力しておけば。
あの場でただしっぽを巻いて逃げ帰らずに、怒鳴り返すなりしておけば。
ああ、いつもこうだ。
気持ちを押し込めて我慢して、後から辻褄合わせの言い訳ばかりして──

「わたし、が悪かったのかも……ばかみたい……」

視線がどんどん落ちていく。鼻の奥がつんとして、目頭が熱く、なって……
足元に影が近づいてくる。
見慣れない靴の形を見つめていると重心が前に傾いた。足が出そうになる直前に受け止められる。
滲んだ涙は、滴ることなく服に──シンの袖に吸い込まれた。

「……泣くなよ」
「だれの、せいだと」
「俺のせいではないな」
「逃げないでよ……誰かを泣かせるなんて、いつものことなんでしょ」
「こうもあっさり泣かれると調子が狂うんだよ」

瞬きをひとつすると、弾けた涙の粒で視界がぼんやりする。そっとシンの腕に触れてしゃくりあげた。
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