神様に人の倫理は通じません

18話 示される選択肢

「救いたいか?」



 神様の、いつにない真剣な顔と声に、ターラは緊張した。

 ここは安易に答えてはいけない場面なのだと、伝わってきた。

 ターラは、妹のメリナを思い出す。

 メリナは母を亡くした寂しさから、ターラの物をなんでも欲しがる悪癖を身につけてしまった。

 その結果、ターラの婚約者を奪うという暴挙に出たが、死産を経験し、己の死を前にして、改心した。

 

(もしかしたらメリナの魂も、悪癖を身につけてしまったときに、少し黒ずんでいたのかもしれない)

 

 しかし、神様を信仰し、祈りを捧げたことで、メリナは安らかに旅立った。

 悲しいことに、シャンティはターラを恨んで死んだが、もし違う未来があったのならば、そちらに導いてやりたかった。

 

「救いたいです」



 だからターラは、毅然と答えた。

 それを聞いた神様の蒼い瞳が、ふっと和らいだように見えた。



「ターラと離れている数十年の間に、私に祈りの力が集まり、何度か神格が上がった。ターラと神殿長が、布教活動を頑張っているのだろうと思った。おかげで心根や魂の色が分かる以外にも、新たな能力を身につけた」



 そこで言葉を途切れさせた神様は、別れた日の前日と同じく、ターラを腕の中に囲った。

 久しぶりの抱擁に、ターラの顔は急激に赤くなる。

 続いて何を言われるのか、ターラには想像がつかない。

 だからしっかりと、神様の口元を見つめた。

 そこから紡がれる言葉を、決して聞き逃さないように。

 しかし神様の唇は、ゆっくりと下りてきて、ターラの唇と同じ高さにやってくる。

 背を屈め、目線を合わせた神様は、囁くようにターラに話しかけた。

 

「私と同じ神になれるとしたら、どうする? ターラが新たに、魂を救う神になるのだ」



 言われたことは確かに耳に届いたが、ターラがそれを理解するのに少しの時間が必要だった。

 それほどに神様の提案は、想定外だったのだ。

 

「私が……神様と同じ?」

「配下の眷属ではなく同等の神だから、ターラの意思はそのままだ。命の長さは、人々の祈りの力に依存する。もしかするとターラの方が、私より人々に望まれ、長く生きるかもしれない。そして神としての格が上がれば、さまざまな能力を身につける」

「……本当に、神様みたいですね」

「大切なことを言おう。――神になれば、私と夫婦になれる」

「っ!!」



 神様の腕の中で、ターラの体が跳ねる。

 すでに真っ赤だった顔が、さらに赤くなった。

 首をちょこんとかしげた神様が、蒼い瞳で尋ねてくる。

『どうする?』と――。



「神様、私は……」



 ターラが神様を恋い慕っているのは、間違いない。

 この数十年、神様がいない間も、神様へのあふれる想いと信仰を、心の拠り所にしてきた。

 歴代の神殿長と、二人三脚で頑張ってきたのも、神様のためだった。

 とこしえの神様の幸せを願って、ターラは今日まで駆け抜けてきた。



 神様の哀しみを知ったときから、毎晩、神様の心の安寧を祈り続けた。

 いつでも笑っていて欲しくて、人々の信仰が深まるよう構想を練った。

 孤独な神様に寄り添う存在がいればいいと、神様の神格を上げる努力をした。

 愛してやまない神様の隣が、今、ターラに差し出されようとしている。



 ターラは娘同然のシャンティの振る舞いに、嫉妬してしまった。

 醜い感情のまま、神様の眷属になりたいと望んだこともあった。

 あれから反省して、初心に帰り、神様のために身も心も捧げると誓った。

 そんな過去のあるターラが、神様と同じ神になるのに相応しいだろうか。



 ターラの脳裏には、これまでの神様との思い出が去来する。

 どれもこれも、大好きな神様との情景だ。

 その一場面を切り取って、新たな神様の姿絵として、パッチワークで布絵にしてきた。

 この試みの結果、神様の神格が上がり、ターラを神にする能力に目覚めたのか。



 神様の腕の中で、ぐるぐる考えを巡らせていると、ターラの鼻につんと、神様が鼻を押し当ててきた。

 より一層の近距離に迫った神様の麗しい顔に、ターラの頭が思考能力を手放してしまう。



「私は、ターラを愛している。ターラに死んでほしくない。これからも、夫婦神として私の傍らにいてくれないか?」



 人の世の夫婦の誓いを、神様なりの言い回しにした、ターラへの求婚だった。

 いろいろなことを難しく考えていたターラだったが、もう駄目だった。

 コクコクコクと高速で頷くだけの、人形になってしまう。

 それを見て、微笑んだ神様が、ターラの唇を奪っていく。

 これまで痛いばかりだったターラの胸が、違う苦しみを訴えてきた。



(神様が、私を愛しているって。ずっと、傍らにいて欲しいって――)



 嬉しくて、幸せで、昂って、神様への愛がターラの心からあふれ出す。

 ターラはそっと、神様の体に腕を回し、自分の気持ちを伝えるように、抱きしめ返した。



 ◇◆◇



「ターラを神にするために、私の魂とターラの魂を、半分ずつ交換する必要がある」



 そう言うと、神様は自分の胸に右手を当てた。

 ぽわっと光ったかと思うと、神様の手のひらの上に、クリスタルのように透き通った丸い珠が現れた。



「これが私の魂だ」



 そうして次はターラの胸に、神様は左手を当てた。

 ターラの心臓がドキドキしているのが、きっと神様に伝わっているはずだ。

 ぽわっと光って出てきたターラの魂は多面体で、銀色の星が散りばめられた紫色の輝石のようだった。

 

「これが、私の?」

「美しいだろう? ターラの魂の形は球に近く、濁りがなくて透き通っている。いくつかある銀色の星は、ターラが傷ついたときに出来たものだ。心の傷、とでも言おうか」



 神様の手のひらにあるターラの魂の中には、ひときわ輝く大きな星がある。

 きっと、シャンティの死と、その真相を知って生まれた、新しい傷だろう。



「多くの傷は、時間と共に癒えていく。小さな傷も、以前は大きな傷だったのだ」



 例えば、母との別れだったり、妹との別れだったり、父との別れだったり。

 先代の聖女や、先々代の神殿長とも、ターラはお別れをしてきた。

 それがこうしてターラの魂に残って、星となっている。

 ターラは、星のひとつひとつが、大切な人がいた証なのだと思った。



 神様がそっと、両手の上にある魂同士を、くっつける。

 硬質に感じられた外見に反して、魂たちはふんわりと隣り合い、そして接したところから溶けて、混ざっていった。

 お互いの抱擁するものを交換するように、しばらく行き来した魂たちは、やがてまた二つに分かれていく。

 そうして神様の右手の上には少し色づいた球状の魂が、左手の上には傷が小さくなった多面体の魂が、出来上がったのだった。



「これをターラに戻せば、ターラは神になる。神になる瞬間、おそらく激痛に苛まれるだろう。それは人々の欲望が、無遠慮に突き刺さるからだ。そこで意識を失ってはいけない。その欲望の中をかき分けて、人々の祈りを探すのだ。本当に救わなくてはいけない魂を、見逃さないために」



 神様の忠告を、頷きながらターラは真剣に聴く。

 もしかしたら神様も、この世に生まれたときに、経験したのかもしれない。

 生まれてすぐは癇癪持ちだったと伝わっているが、話を聞く限り、神様が激痛に耐えていた姿だったのだろう。

 

「分かりました。頑張ります」



 ターラは握りこぶしを作って見せた。

 これは、ベテランのパッチワーク作業班から教わった、やる気を漲らせるときの動作だ。

 

「では戻すぞ。それぞれの魂を、それぞれの元に」



 神様は右手の魂を自分の胸に、左手の魂をターラの胸に、近づけた。

 そうすると魂はふわりと浮いて、すうっとお互いの胸に吸い込まれていく。



 ガガンッ!

 ガガガガガガガンンンッ!!!!

 ガガガガガガガガガンンンンンッ!!!!!



 その瞬間、ターラの頭蓋骨の中に、何万本もの矢が乱反射しているような痛みが走った。
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