神様に人の倫理は通じません

2話 虚ろな存在

 神様がどうして人嫌いなのか。

 それは神様の生まれ方に起因する。



 こうあって欲しいと、熱心に願った人々の祈りの力から生み出された神様は、それだけが存在意義だ。

 人々が祈らなくなれば、神様は神様として具象化できなくなる。

 顕現するかしないかの権利を、自分以外のものが握っている現状。

 輝くのも消えるのも、人次第の虚ろな存在。

 それが神様だった。

 

 二十代だったターラが、聖女として初めて神様と顔を合わせたとき、ずいぶん投げやりな態度をされた。

 聖女は神様が接触することを許した、たった一人の人だ。

 そんなターラに冷たく接したのは、人嫌いな神様の、せめてものうっぷん晴らしだったのだろう。

 ターラは、八つ当たりをしたくなる神様の気持ちを、悲しく思った。

 どうか神様が心安らかにいられますように、ターラはそれから神様の安寧を祈るようになった。

 

 そっけなさを見せる神様が、ことのほか興味を示したのは、ターラが母親の話をしたときだった。



「母親とは、どんなものだ?」

「温かくて明るい、私たち家族の光でした」

「ターラは母親から生まれたのだろう?」

「はい、そうですね」



 そのとき、神様が少しだけ、寂しそうな顔をした。

 神様には母親がいない。

 人々の祈りの力が神様を生んだが、それは神様を消すこともできる諸刃の剣だ。

 決して母親と同じではない。

 

「ターラが聖女となったことを、母親は喜んだか?」

「私の母はもう亡くなっています。この世にはいないのです」

 

 ターラの母親が死んでいることを知ると、神様の興味は死へと移った。



「死とは、どんなものだ?」

「もう二度と、会えなくなることです」

「ここに来ていた聖女も、いつしか来なくなり、新しい聖女が来る。それと同じか?」

「少し違います。聖女が入れ替わるのは、たしかに寿命が尽きるせいでしょう。ですが基本的に、亡くなった人の代わりはいません」

「ターラが死んでしまったら、次に来る聖女はターラではない、ということだな?」

「そうです。1000年を生きた神様からすると、数十年しかない人の一生は短く儚く、あっという間に感じるでしょう」

「聖女はもう少し長く生きる」

「神様のおかげですね。私も出来るだけ長く、神様にお仕えしたいと思っています」



 ターラがそう言うと、神様は黙り込んでしまった。



「まだ幼かった私が、母を亡くした悲しみを乗り越えることが出来たのは、神様への信仰心があったからです。家族を残して一人で旅立った母が寂しくないようにと、一心に祈りました」

「人は、自分の悲しみを癒すために、祈る者のほうが多い」

「亡くなってしまった母は、もう祈ることが出来ません」

「母親の心を癒すために、ターラが代わりに祈ったということか」

「自分勝手ではありますが、神様に祈ったのだから母は大丈夫という、その思いで私の悲しみは癒えました。もう会えないし、話すこともできないけれど、私はこれからも母が大好きだし、心には母との思い出もあります」

「思い出……」

「母との楽しかった日々は、いつ思い出しても心が温かくなります」



 そういって微笑んだターラを、神様は星空のような蒼い瞳でジッと見つめた。

 まるでそこに、真理を探すかのように。



 ◇◆◇



 二人が旅立った次の日。

 初めて神様のいない朝がきた。



 ターラはいつものように神の森を見回りながら、空虚さに心が引きつれるのを感じた。

 これまでは、早朝にターラが森の中を歩いていれば、どこからともなく神様が合流してきて、並んで歩いては他愛ないおしゃべりをしたものだ。

 だがそれも、昨日までの話。

 ターラを呼び止める神様は、今日からこの森にいない。

 

 神殿に仕えるきっかけとなった出来事を、ターラは顧みる。

 あの時もターラは、自分から離れていく二人の背中を見送った。



 ◇◆◇



「お姉さま、本当にごめんなさい。でも私たち、愛し合っているの」



 うっすらと涙を浮かべた妹メリナの桃色の瞳は、母親譲りだった。

 メリナの持つ愛らしい顔や小柄で豊満な体つきも、父親に似たターラとはまるで違う。

 そんなメリナが腕を絡ませている相手は、よりにもよってターラの婚約者だ。

 オーディー伯爵家の嫡男アロンは、緩やかな金髪をかきあげると、もっと驚くべきことをターラに告げた。

 

「メリナの腹には、すでに俺の子が宿っている」



 婚前交渉は女性側の恥となる。

 だからターラは、いくらアロンに誘われても、結婚するまではと拒んできた。

 ターラに断られた腹いせに、アロンがメリナに手を伸ばしたのか、それとも姉のものを欲しがるメリナが、アロンに言い寄ったのか。

 どちらにしろ、その結果がターラとアロンの婚約解消になった。

 

「お父さまにお願いして、オーディー伯爵家とドルジェ子爵家の婚約を、相手を変えて結び直してもらったの」



 さきほどまでメリナが浮かべていた涙は、すでにどこかへ消えていた。

 まだ膨らんでもいない腹に手をあて、メリナは自分の権利を主張するようにアロンに身を寄せる。

 

「これで正式に、俺の婚約者はメリナだ。お前ではない」



 そう言い捨てると、ターラの婚約者だったアロンは、メリナの肩を抱いて立ち去った。



 元々、商売上手なドルジェ子爵家の豊富な資産を狙って、オーディー伯爵家から申し込まれた政略的な婚約だった。

 そこに愛はなかったことが、ターラにとっては幸いだった。

 それに、心のどこかで「やっぱり」という思いがあった。



 実は、メリナがターラのものを欲しがるのは、今に始まったことではない。

 ターラが大切にしている裁縫道具も、母の形見のネックレスも、父からの愛情も。

 同じものをメリナももらっているのに、ターラのものをわざわざ欲しがるのだ。

 メリナのそれはもう、病気と言ってもおかしくないほどだった。

 

 当初、ターラとアロンの婚約が決まったときに、父がメリナの婚約者も同時に見つけようとした。

 しかし、メリナ本人がこれを嫌がった。

 今なら分かるが、メリナは自分の婚約者ではなくターラの婚約者が欲しかったのだ。

 ターラには、そんなメリナの気持ちが全く分からない。

 

(婚約者はものではないのだけれど、メリナにとっては私から奪えるという点で、同じだったのでしょうね)

 

 本当に大切なものは、ターラの心の中にあって、誰もそれを奪うことはできない。

 それは、母との思い出だったり、神様への信仰心だったり、目には見えないものだ。

 メリナも、そういうものと早く出会えればいいと、ターラは思うのだった。



 ◇◆◇



「すまん、ターラ。オーディー伯爵家から婚約相手をメリナに替えろと言われて、格下の子爵家としては逆らえなかった。しかも、メリナはアロンさまの子を宿しているというじゃないか。一体、何がどうなっているのか……」

「いいのです、お父さま。その代わり、今後はどなたとも婚約を結ばず、神殿に仕えることをお許しください」

「……このままメリナのいる社交界に出て、肩身の狭い思いをするよりは、神様に近い神殿で過ごす方が、信仰心のあついターラにとっては幸せかもしれんな」



 ドルジェ子爵家には後継者となる10歳の弟ビクラムがいるため、家を出たいというターラの願いは、案外あっさりと叶えてもらえた。

 

「ビクラムが寂しがるだろう。あの子は、お前によく懐いているから」

 

 母は、ビクラムを出産したときに、命を落とした。

 母親の愛を知らずに育つビクラムが不憫で、ターラは何くれと弟の世話を焼いてきた。

 そのせいか、10歳になった今でも、ビクラムはターラのあとをついて回る。

 ターラも、そんなビクラムを可愛いと思っていた。



「ビクラムには、私から説明します。神様にお仕えするのだと言えば、きっと分かってくれます」



 そうして妹メリナに婚約者アロンを奪われたターラは、22歳で神殿へ仕えることになったのだ。
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