新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
高橋さん……。
そんなに、強く抱きしめないで。
玄関のドアがゆっくりと閉まる音が、高橋さんの後ろでしていた。
「高橋……さん?」
どのくらい、時間が経ったのだろう?
静かに名前を呼ぶと、高橋さんの体が少しだけ離れて目が合った。
何だか、私の声に気付いて我に返ったようにも見えた。
何かあったのか、聞きたい気持ちは山々だったが、その真剣な眼差しに何も言えず、ただ黙って見つめ合ったままだった。
すると、高橋さんの左手が私の右頬をそっと撫でた。
「こんな時間に、悪かった」
「えっ? あの、いえ……そんな……」
高橋さんの口調がいつもどおりだったので、先ほどの行動と言動が伴っていないような気がして、それはそれでまた別の意味で気になった。
「お前に、急に会いたくなった」
「高橋さん……」
視線を逸らさずに高橋さんを見ていると、いつもの優しい瞳と微笑みに戻っていたので安心した。
「それじゃ」
「あの、お茶でも」
高橋さんは、部屋に一歩も上がらずにそのまま帰ろうとしたので、慌ててお茶のお誘いをしてみたが、無言で首を横に振られてしまった。
「もう、遅い。 明日も仕事だし、10日だから忙しいだろ。 早く、寝た方がいい」
「あの……」
「おやすみ。 いい子に」
チュッ。
「寒いから、此処で」
高橋さんは、私のおでこにキスをすると、そのままドアを開けて帰ってしまった。
いったい、どうしたんだろう?
鍵を閉めながら、ドアを開けた時のあの……最初の高橋さんの表情が気になった。
ドアの開閉で、真冬の冷気が部屋の中に入り込んだこともあるが、あの表情を思い出して余計に寒く感じられた。
急に家に来て、私を抱きしめて……。
今日は、確か会社の帰りに明良さんの所に寄ったんじゃ?
でも酔っていなかったから、きっと明良さんは仕事中だったのかな?
本当に、高橋さん。 
どうしちゃったんだろう?
急に、会いたくなったって……。
嬉しいけれど、何となくしっくり来ないというか、何だか今日の高橋さんはいつもと違っていた。
腑に落ちないままベッドに潜り込み、目を瞑りながら先ほどの出来事をまた思い出していた。
明良さんと、何かあったのかな?
でも、深く考えるのはよそう。
何時だって私の勘違いということが多くて、高橋さんを困らせてしまうだけだったりするんだから。
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