ファーレンハイト番外編 / 秒で終わる恋
「お待たせいたしました」と、目の前に置かれたカップから立ち上る湯気の向こうで彼女が笑う。

 ――今日も、可愛い笑顔だね。

 店内を流れるジャズピアノの曲を聴きながら、慣れた手つきで俺の前に皿を置く彼女を見ていた。俺はいつも通り、ブレンドコーヒーを口に含んでその味を楽しんだ後、サンドウィッチに手を伸ばす。卵とレタス、トマトを挟んだだけのシンプルなものだけれど、それが一番美味しい食べ方だと彼女が教えてくれた。

 パンの端をかじり取り、口の中に広がる瑞々しい野菜の食感を感じながら、俺はゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。満足感に浸りつつ、再びコーヒーを口に含む。

 窓の外を見ると、街路樹が色づいていることに気がつき、季節の移り変わりを感じた。そっと視線を上げれば、窓から見える景色の中に彼女の姿があった。店の(のぼり)が倒れたようで、直しているよう――。

「痛たたたたっ!! やめっ! 痛っ! やめて!」
「本城さ、あんた私のことガン無視してない?」

 隣にいる女性は加藤奈緒、俺の先輩だ。俺のサンドウイッチを食べながら俺の耳をつねっている。
 昼時の客足が捌けたこの時刻を狙って俺は彼女に会いに来店しているが、今日は加藤さんがなぜかついてきた。念の為言っておくが、俺は誘っていない。絶対に。

「耳つねるのやめて下さい」
「じゃあ無視しないでよ」
「あの、なんで隣にいるんですか」
「ついてきたから」
「なんでついてきたんですか」
「本城はあの子のこと気になってるんでしょ?」

 なぜバレているのだろうか。なぜバレているのだろうか。あまりに動揺しすぎて俺は同じ言葉を二度も心の中で言ってしまった――。

 確かに彼女は気になっているけども……。
 そんな俺の心を見透かすように加藤さんはニヤリと笑った。加藤さんは笑わない方が良いタイプの美人――。

「あんた今何考えてた?」
「何も考えてないです何も考えてないです」


< 1 / 4 >

この作品をシェア

pagetop