ファーレンハイト番外編 / 秒で終わる恋
 ◇


 加藤さんは俺がこの喫茶店から署に戻って来ると、顔つきが違うから何かあるのだと思ったと言った。

「デレた顔じゃマズいからキリッとした顔して誤魔化してるつもりだろうけど、デレてるよ」
「…………」

 彼女との出会いは三ヶ月程前だった。
 署の隣にはコンビニがあるが、サンドウイッチを買いに行ったら無かった。悲しかった。
 サンドウイッチが食べたくて行ったのに無かったから、昆布のおにぎりを買って出てきた。悲しかった。
 でもやっぱりサンドウイッチが食べたくて、署から徒歩数分のこの喫茶店に初めて入った。

 店内は落ち着いた雰囲気で、見た目が反社の俺が入店すると彼女はびっくりした顔をしていた。
 反社ヅラの俺にとっては日常茶飯事だが、カウンター席に通された俺は笑顔でサンドウイッチとコーヒーを注文すると、彼女が笑った。
 その瞬間、俺は彼女に恋をした。

 キミの瞳を逮捕する――。

 それから俺は週に一度のペースでこの喫茶店に通っている。
 彼女は俺と同じくらいの歳だと思う。左手薬指には指輪をしていない。独身だ――。
 いつかデートに誘ってみようと思うが、そんな事を言い出せるわけもなく……。
 彼女の名前すら知らない俺は、淡い恋心を抱いて今日も彼女へ会いにこの喫茶店へ来た。なのに加藤さんがついてきた。それに加藤さんは時間のかかるグラタンを注文したから俺のサンドウイッチを食べている。

「無くなっちゃうじゃないですか」
「もう一個頼めばー?」
「……そうですね」

 店内に戻って来た彼女は、カウンターの向こうで手を洗っていた。

「すいません、サンドウイッチをもう一つ下さい」

 振り向いた彼女は笑顔で応じた。

 キミの可愛い笑顔を再逮捕――。

 隣の加藤さんの視線が突き刺さる。俺は緩む頬に力を入れて、伝票をキッチンに持っていった彼女を見ていた。
 彼女は振り向き、グラタンを持ってカウンターに戻って来た。

「お待たせしました。熱いので気をつけて下さいね」
「はーい。あの湯川さん、聞きたいことがあるんですけど」
「えっ? はい、何でしょう?」

 ――加藤さん、なんで彼女の名前を知ってるの?

「ご主人は元気にしてる?」
「ええ、おかげさまで」

 ――俺の恋が秒で終わった。俺の恋が秒で終わった。

 俺の恋が――。
 彼女は既婚者だったのか。ショックだったが、『彼女が幸せならオッケーです』をモットーに生きている俺は、良いじゃないかと思い直すことにした。

 ――既婚者じゃ、どうにもならねえよ。

 俺は女性職員から女衒(ぜげん)と陰で呼ばれている先輩の間宮さんに合コンをセッティングしてもらおうと思った。


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