ファーレンハイト番外編 / 秒で終わる恋
 ◇


 テーブル席の客がレジに行き、彼女がその応対の為にカウンターから出て行ったのを横目に、加藤さんに話かけた。

「あの、加藤さん」
「なにー?」
「なんで彼女の事を知ってるんですか?」
「従兄弟の奥さんだから」
「…………」

 加藤さんは彼女の出勤日を把握していて、時間があれば来ていたという。俺が初めてここに来店した時、窓の外から加藤さんは俺を見ていたそうだ。

「もうさ、一瞬で恋に落ちたってわかったよ」

 笑いを堪えながら話す加藤さんに俺は何も言えなかった。あの日俺はサンドウイッチが食べたかっただけなのに――。

「あんたが彼女に変な事しないか心配してたけど、あんたは何もしなかったね。えらいえらい」
「あー、まあ……ねえ?」
「んふふっ……」

 俺をちらちら見ながら笑う加藤さんはまだ何か隠してる、俺はそう思った。

「……なんすか?」
「彼女、元同業だよ」
「えっ!? あの、ウチ?」
「ううん、違う」

 加藤さんの従兄弟は農林水産省勤めで、ご主人の転勤に伴い彼女は警察を辞めたそうだ。

「もうね、辞めて五年だから、警察官(サツカン)の雰囲気はほぼゼロになったし、あんたが気づかなかったのも仕方ない」
「そうですか……」

 その時、彼女がサンドウイッチを持ってカウンターにやって来た。

「湯川さん、こいつに言っといたからね」
「えっ、あー、ふふっ」

 ――彼女に俺の恋心はバレていたのか。

「すいません……」
「えっ、いいんです! あの、でも……」

 言い淀んだ彼女に、加藤さんは促した。

「私が元同業だと気づかれなかった事が嬉しかったです」

 彼女は、警察官に元同業だと気づかれなかった事で、やっと警察から開放されたのだと思ったそうだ。

 ――大変だったんですね、わかります。

 警察官には向き不向きがある。それは体力の話ではない。市民はニュースになった事件事故しか知らないが、全ての事件事故を知る俺達はメンタルが削がれる。そこで脱落する者もいる。それに警察は組織だ。組織を守る為に目を瞑る必要もある。正義感を持って警察官を拝命しても、その現実に耐えられない者もいる。
 彼女はどういう意味でそう言ったのかは分からないが、彼女はやっと開放されて、『普通の女性』に戻れたわけだ。
 そして、警察官のままの俺は失恋した、と。あの日俺はサンドウイッチが食べたかっただけなのに――。


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