桜ふたたび 前編

〈澪?〉

「……ジェ、ジェイ?」

〈うん〉

「本当に? ジェイ?」

〈まさか恋人の声を忘れたのか? たった1ヶ月で──〉

「ご無事ですか? お怪我は?」

〈え? いや〉

「あ…ああ…よかった……」

安堵したとたん、力が抜けた。
目の奥に熱い泉が湧き出て、ポロポロと溢れ出した。
遠い昔、箱に閉じ込めて土に埋めたはずなのに、まるで封印を解かれたように、涙が頬を伝った。

〈泣いているのか? なぜ?〉

「ニューヨークが……大変なことになって……でも……連絡がつかなくて……心配で……」

途切れ途切れの声に、ようやくジェイも涙の意味を理解したのか、

〈澪、泣かないで。事故の影響でコミュニケーションラインがダウンして、対策に追われていたんだ。今はLos Angelesだから、安心していい〉

「ロサンゼルス……」

〈Manhattanには戻れそうにないから、予定を早めて、ここから日本へ向かう〉

「日本に? いつ?」

澪は飛びつくように体を浮かせ言った。

〈フライトスケジュールは、日本時間で明日13時20分、羽田着〉

「迎えに行きます」

〈え? 澪が?〉

「はい。──あっ? ご迷惑ですね。すみません……」

〈いや……嬉しい。でも、羽田だよ?」

「はい、大丈夫です」

〈……じゃあ、気をつけておいで──〉

いつも一方的に電話を切る彼が、今回に限ってそうしなかったのは、何事にも受け身な澪が初めて自ら行動を起こそうとした真意に、震えるような感動を覚えたからだ。

利害のために彼の安否を探る者はいても、純粋に身を案じてくれたのは、澪だけだ。

〈I love you.〉

初めての愛の言葉に、澪は言葉を失った。
そんな狼狽をおかしがるように、電話はツーツーと鳴り続けていた。
< 101 / 313 >

この作品をシェア

pagetop