桜ふたたび 前編

ジェイは、相変わらず背中を向けている。
だが、その右手が小刻みに動いていることを発見して、アレクは目を瞠り、そして、吹き出しそうになった。

スイスのボーディングスクールでハウスメイトだったジェイは、五歳年下のくせに飛び級に次ぐ飛び級で、十五歳でハーバード大学に合格した俊秀だ。

並外れた素質の上に努力家だから、言わずもがな、スポーツ・芸術・文化・テクノロジー、全カリキュラム常に成績トップ。
十歳にはすでに、小遣い稼ぎの投資で$1000万以上稼いでいたという逸話すらある。

好奇心旺盛で、悪戯好きで、友情厚く、世界中の重要人物の子弟が集う学舎でも、トップレベルの人気者だった。

アメリカに渡ってからすっかり人が変わってしまったが、考え事をはじめると机を指で叩く癖は、あの頃のままだ。

『ミオ、笑って』

『スマイル、スマイル』と、頬に人指し指を当てられて、澪の硬かった表情が和らんだ。
彼にかかれば、千世でなくても、瞳に星を輝かさない女性はいないだろう。

短い曲が終わった。

澪が席に戻ったのと同時に、ジェイは立ち上がった。

《先に失礼する》

状況を把握できず、まごまごする澪を、ジェイは追い立てるように促している。

《そうか? 俺はもう少し呑んでいる》

アレクはあっさりと、椅子を回転させ右手を差し出した。

《今夜は愉しかった。また時間ができたら連絡してくれ。期待はしてないが》

そして、澪に笑顔を向けた。

澪が笑顔で右手を差し出すのを、アレクが「しめた」とほくそ笑んだのが先か、ジェイが「しまった」と手を伸ばしたのが先か。次の瞬間、澪は握った手を体ごと引き寄せられ、あっという間に無防備な唇を掠め取られていた。
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