桜ふたたび 前編

「おこしやす。あら? お連れはんがおいやしたんどしたか?」

洗い場の麻暖簾を上げて、女将が温雅な笑顔を覗かせた。
薄浅葱の疋田のお召に孔雀青の名古屋帯。洗い物をしていたのか露草の襷を掛けている。筆で描いたような目とおちょぼ口の瓜実顔。衣紋の抜き加減が絶妙で、上品なのに艶っぽい。

「すぐにご用意しますよってに」

襷を解きながら、女将は柔らかく微笑んだ。

口元の小さなほくろ、ゆったりとした口調、今ではもう少なくなった京言葉に、女将の前では誰もが《《はんなり》》してしまう。
客席側の壁に掛けられた芸妓画と、面差しが似ていて、〈女将がモデルやろう?〉と野暮な質問にも、あの口調でいなしてしまうのだから、やはり祇園で客商売をしているだけのことはある。

などと、油断していたら、千世は肩をぶつけるように迫ってきた。

「よ~うやった!」

低く空気の漏れたような声。拳を握り雌ヒョウのように目を輝やかせている。
絶対にナンパされたと勘違いしている。絶対に友人のために引き入れてきたと心の中で万歳している。〝たまたま偶然〞は通用しない。

「みぃ〜お」

肩口を指先で連打。

「もったいぶらんと早《は》よう紹介してぇな。英語、できるやろ?」

千世は、クイクイッと顎先を上げて目配せをする。
澪は、弱り顔で小さく首を振った。

「なんでぇ?」

いくら怖いもの知らずの千世でも、見るからに一般人とは違うオーラの彼とお近づきになろうなど、無鉄砲が過ぎる。
だいいち、知らない人だし。
< 15 / 313 >

この作品をシェア

pagetop