桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

「おおっ、いらっしゃい」

坊主頭の大将が、驚きと懐かしさが混ざった笑顔で澪を迎えた。
笑うと垂れ目がいっそう垂れて、パンパンに張った腹といい、大黒様のようだ。

柚木はカウンターの椅子を引きかけて、思い直したように反対側の小上がりに靴を脱いだ。
座卓がふたつ。右側が、昔、ふたりの指定席だった。

「緊張するなぁ。初めて澪を誘ったときみたいや」

おしぼりで手を拭いながら、柚木は照れ笑った。
つられて澪も、口端を上げた。

「彼氏と、うまくいってる?」

「え?」

「指輪。このあいだも大事そうにしてたから」

思わず右手で左手を覆い、澪は面映そうに微笑んだ。

「そんな表情もできるようになったんやなぁ」

柚木は、安堵と寂しさが混ざったような目をした。

「何をしている人?」

澪は少し考えて、

「外資系の企業に勤めています」

「そう、優秀なんや。
……ほんまはな、会えるんやないかと期待して、あそこを通ったんや。いい恋をしてるみたいでよかった。安心した」

澪は表情を強張らせた。

──なぜ、そんなに優しい声で言うの? わたしを、許さないで。

澪はこれまで、自らに罰を与えることで、心の均衡を保ってきたのだ。
心に足枷をかけ、耐えがたい後ろめたさから楽になろうとしていた。
それを、いきなり鍵を外されてしまったら、方向もわからず蹲るしかない。

「もう、忘れなさい」

澪は、頭を垂れて小さく首を振った。

──忘れてはいけない。
忘れられるはずがない。

澪の心が、一気に時間を遡っていった。
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