桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

「澪、大丈夫か?」

胸を押さえ、微笑みをつくろうとする澪に、柚木は泣きそうな顔をした。

「すまない。辛いことを思い出させてしもうた。
僕はただ、澪がいま幸せかどうか、確かめたかっただけなんや。澪の人生に傷をつけてしもて、言える立場やないことはわかってる。それでも、澪には幸せになってほしいんや。そのために、僕にも力にならせてほしい。それが罪滅ぼしになるとは、思わへんけど」

柚木は一度言葉を切って、やるかたない息を吐いた。

「そやけど、澪は我慢してしまうんやな……。何でもかんでも自分のなかに溜め込まんと、もっと人に甘えてええんだよ」

柚木は、澪のわがままを聞いたことがない。涙さえも、見たことがない。

あの日も、そうだった。

気位の高い妻が涙を流す姿を目の当たりにして、若い澪の人形のような佇まいに、釈然としなかったことを思い出す。

妻の激しい憎悪に晒され、その妹に罵倒され、堕胎を強いられ、危害を加えられかけた。そのうえ、その場しのぎのずるい男の本性まで見せられたのに、澪は、最後の最後まで、一言も責めなかった。

むしろ、罵ってくれた方が、どれほど気が楽だったか……。

柚木は、遠い目をして寂しげに微笑んだ澪の最後の姿を思った。

澪のやさしさは残酷だ。目の前の愛さえ、自ら手を伸ばさない。

残された者は、差し出した手の虚しさを、永遠に忘れることができない。



◇第一章 fin
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