桜ふたたび 前編
「人殺し‼」

翌朝、香子から紗子が自殺を図ったと聞かされて、澪はその場で意識を失いかけた。

「お、おなかの赤ちゃんは……?」

ようやく絞り出した問いに、電話口の香子は一瞬沈黙した。

「赤ちゃん……」

そう呟くと、まるで地獄の底から呪うような声で、

「あんたのせいや。あんたさえいなければ、こんなことにはならへんかったんや。あんたが、サエちゃんを追いつめて、すべてを奪ったんや!」

──望んだ瞬間に、掌から零れてゆく……。

すべてが幻だった。

父の裏切りに傷ついている母をみていたのに、自分も不倫に落ちた。望まれずに生まれた自分が、望まれぬ命を生もうとした。
その代償は、罪のない人を傷つけ、尊い生命を奪うことだった。

紗子にとっては、きっと最後のチャンスだったはずだ。
ようやく授かった希望を彼女から奪った澪が、子を持つことは一生涯赦されない。

──ごめんね。あなたはわたしと同じ、生まれてきてはいけない子なの。

窓辺の行燈仕立ての鉢植えに、種子から育てた朝顔が大輪の花を咲かせている。短い命と知って懸命に咲いているのか。
可憐な花びらから一粒の露が落ちたとき、澪はテーブルに突っ伏した。

結局、澪は、愛だと信じたものを護ることもできず、自ら放棄してしまった。
思いこみだけの覚悟で、取り返しのつかない罪過だけを残して──。

他者の幸せを壊した澪に、幸せになる権利はない。
< 166 / 313 >

この作品をシェア

pagetop