桜ふたたび 前編

《Buon natale! （クリスマスおめでとう）》

インパラがビクビク、チビチビと注いだ百年もののバローロで、三人は乾杯をした。

イタリアでは、ナターレ（クリスマス）はパスクワ（イースター）と並び、最も重要な日とされている。

「昔は断食をしたのだが、朝からワインを呑んでいるのだから、戒律など人の都合に流されるものだな」

『年に一度、ナターレにまとめて懺悔する人もいるものね』

ルナの皮肉な微笑を無視して、

『今、どこにいるんだ？』

『ソマリランドのハルゲイサ。エチオピア国境に近いベースキャンプよ』

危険だな、とジェイは心の中で呟いた。

現在ルナは、アフリカで難民の子どもたちを支援するＮＧＯに従事している。
裕福な家に生まれ、兄妹の中で唯一、両親の手元で温室の蘭のように育てられ、ニューヨークやパリの社交界でもてはやされていた彼女が、突然、紛争地帯へ身を投じたのは、八年前だ。

いつか妹は兄に言った。

〈両親が望む結婚をするために、生まれてきたわけじゃない〉。

自己の存在理由を模索して、苦しんでいたのか。見栄とプライドが渦巻く上流社会は、彼女には退屈で窮屈な世界だったのだろう。

ＮＧＯ活動を取り巻く現実は厳しい。
しかし彼女の精神は、令嬢と呼ばれたあの頃よりも、よほど健やかで、満ち足りているように思えた。

クリスマス・イブのディナーは、斎戒の名残で魚と野菜が中心。
昨夜から肉に飢えていたルナは、朝からリクエストした分厚いローストビーフに澄まし顔でフォークを突き刺し、言った。

『二日前、ローマの友人の結婚パーティーで、アレクに会ったわ。東京で面白いものを見たんですって』

含みのある声色。とっておきの情報で兄をからかってやろうとでも思っているのか。
それなのに、相手はまったく興味を示さず新聞を読んでいる。
ルナはちっと小さく舌打ちした。

ルナは視線を右上に、少し考えて、今度は澪に爽やかな笑顔を向けた。

「ミオ、私の部屋に来て。お願いしたいことがあるの」

「はい」

澪の快い即答に、ルナは兄に向かって（これならどうだ）とばかりに鼻先を上げた。

ジェイは乱暴に新聞を捲った。
昨夜、極限の自制心で堪えたのに、まだお預けを食わせるつもりか。

──澪という女は、臆病で慎重なくせに、不測の事態にはまるっきり迂闊だ！