桜ふたたび 前編
《エヴァは?》
ジェイは訊ねた尻から後悔した。彼女のことだ、義弟が帰省していたことすら記憶にとどめていまい。
《いや、いい。シモーに替わってくれ》
シモーネは、また電話の向こうでマリアに癇癪を起こしている。
《なんだよ、僕は忙しいんだ》
《すぐに日本語のできる医者を手配するから、portinaio(門衛)に医者が来ることを伝えておいてくれないか》
《わかった! ついでに空港に迎えを行かせてやるよ。なん時に着く?》
この辺りの目端の利きは、やはりそこらの小学生とは違う。この番号も、屋敷の通話履歴を調べたか。
《あ……あ、まだ帰れないな。仕事が片付いていない》
《恋人が死にそうなんだぞ! 仕事なんか、他の奴らにさせておけばいいじゃないか!》
シモーネの口調が、瞬間湯沸かし器のように激した。
《私に代わりはいない。それに、いま必要なのは、私ではなく、医者だ》
シモーネは絶句して、
《悪魔!》
バン、と音を立てて電話が切れる。
ジェイは耳の穴を指で塞いだ。
──きつく言い過ぎたかな……。
妙な反省をしている自分に、ジェイは苦笑した。
まさかそのせいで熱を出したわけではあるまいが、澪の前だとつい感情がセーブできなくなってしまう。
澪は辛抱強い。そして、過ぎるほど遠慮深い。甘え方を知らない女だ。
きっと今回も、「迷惑をかけたくない」などと、ひとりベッドのなかで苦しんでいたのだろう。
やはり、強引にでも連れてくればよかった。目の届くところに置いておけば、こんなことでやきもきさせられることもなかったのだ。
日本ならいざ知らず、目と鼻の先の距離にいると思うと、よけい気になって落ち着かない。
ふと、ジェイは怪訝な顔をした。
『私の顔に何か付いているのか?』
『……いえ』
男は、まるで見てはいけないものを覗いてしまったかのように、足早に部屋を出て行く。
ジェイは眉を潜め、それから、そうかと吹き出した。
──どうやら重症なのは、こちらのほうらしい。