桜ふたたび 前編

❀　❀　❀

《おい！　お前のガールフレンドが、死にかけているぞ》

不遜な第一声に、パリのオフィスで書類をめくっていたジェイは首を捻った。
ジェノヴァの家の着信通知に、反省した澪が恋しくなって電話をかけてきたとほくそ笑んだのに、この声は……？

《シモー？》

彼が電話をかけてくるとは、前代未聞だ。

《どうした？》

《だから、女が死にそうだって報せてやってるんだ！》

《澪が？　なぜ死にそうなんだ？》

電話の向こうで、シモーネが誰かを怒鳴り散らしている。すぐに、若い女のおろおろとした声に替わった。

《あの、マリアです。ミオ様が、ひどい熱で苦しんでいらっしゃいます。お食事も召し上がらず、フェビオは昨日からお休みで、どうしたらいいのかわからなくて……》

マリアは、エプロンの裾を揉みしだき、おずおずと訴えた。

目の前では、熱に魘された澪が、烈しい息づかいで胸を波打たせている。何度声をかけても、焦点の定まらぬ虚ろな目をぼんやりと開くだけ。
母さんが死んだときもこんなだったと、マリアは不吉なことを思い出した。そう思うと、降り続ける雨さえも、あの日と同じだ。

──どうしよう。あれほど「くれぐれも」と命じられていたのに……。

やっぱりクビかな。

お給料は安いけど、モンティさんの賄いは美味しいし、宿舎の環境も抜群で、こんなにいい働き口はもう見つからない。

ファビオは厳しいけど、それは自分がドジだからで、他の仲間もみな親切だ。
奥様は使用人を叱ったこともない方だし、旦那様は三年前に一度お顔を拝見しただけ。大旦那様はお目にかかったこともない。先日、大奥様が突然いらっしゃたのには、ファビオも顔色を変えたくらいだ。（滞在時間はたった15分だったけど）。
妹様はほとんど屋敷に寄らず、弟様は突然ふらりと現れては、気づけばまた姿を消している。

一番厄介な坊ちゃんは……、今回はどういう風の吹き回しか助けてくれた……。だから、寄宿舎から戻られる間だけなら、なんとかあの癇癪も辛抱できる、かも、と思っていたのに……。

失業したら、故郷のマナローナ村へ帰ろうか。でも、家には父の新しい奥さんと五人の異母妹弟たちがいて、今さら自分の居場所なんてない。