桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

夜が明けても、空はしとしとと雨を降らせ続けている。
だが、彼方海の上には明るみも見えて、昨夜のような悲壮感はない。

ダイニングでぽつねんとランチをとるシモーネを見て、澪は切なそうな顔をした。
硝子扉の向こうに、庭師の父親を手伝う少年の姿がある。
親子を見つめるシモーネの目は、寂しい。

他人の傷に敏感すぎる澪が、ジェイはときおり心配になる。

「Ciao!」

仏頂面で振り返ったシモーネが、澪の笑顔を見たとたん、ぽっと頬を赤らめたようで、ジェイはおやっと思った。

シモーネはあわててプイッとそっぽを向いて、ラビオリを口に押し込んでいる。

「Grazie di tutto quello che. (お世話になってありがとう)」

シモーネはいつもの不遜な目を向けたが、澪の瞳にぶつかると、たちまち赤くなった。

それでも、声だけはぶっきらぼうに、

《Figurati.(どういたしまして)》

ジェイは笑いを噛み殺した。
わざとシモーネの対面の椅子を引いて澪を座らせ、自分はその隣に腰を下ろす。

《澪が世話になった。何かお礼をしよう》

子どもへの褒美と、軽い気持ちで言ったのに、シモーネは「本当にいいんだな?」と目で念を押してくる。
ジェイも目で、「何でもどうぞ」と応じた。

《それなら、ミオが欲しい》

これはまた、突拍子もない。

《僕なら、病気の恋人を見捨てるようなことはしない》

痛いところを突かれて、苦笑いを浮かべたところへ、マリアが食事を運んできた。
ジェイには猪の煮込みのパッパルデッレパスタ、病み上がりの澪のためには、野菜や豆類たっぷりのミネストローネが用意されていた。

「Grazie di tutto quello che.」

驚天動地の出来事に、マリアはファビオに叱られたときのように、ぺこぺこと頭を下げている。

ジェイは、温かい気持ちで微苦笑した。

この家で、使用人に礼を言う人間など、子どもの客でさえいまい。

誰に対しても、何に対しても、自然に感謝を口にできるのは、澪の美点のひとつだ。
──条件反射のように謝る癖は、やめさせる必要があるが。
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