桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

──やはり、目を離すのではなかった。

メイファのような攻撃的な女から引き離すためとはいえ、失敗だった。
澪のことだ、また戻る方向を間違えて、迷子になっているに違いない。
太陽が出ていなければ北も南もわからず、選んだ方角がなぜか逆という、救いようのない方向音痴だ。

急ぎ足で外回廊への出口にさしかかり、ジェイは足を止めた。
女がひとり、丸柱に背を凭れて佇んでいる。

《クリス?》

クリスは蹌踉とした顔を上げ、ジェイを認めると、ばつ悪そうに唇を歪めた。

《どうしたんだ?》

近づくと、クリスは小風に吹かれた柳のように、ふわりと胸にしなだれかかってきた。
ジェイはクリスの肩を抱き留めて、巻き髪に隠れた顔を覗き込んだ。

《酔っているのか?》

《ええ、ひとりで新年を迎えるのですもの。酔わないとやってられないわ》

地位も名声もある彼女が、エスコートなしで公式の場に現れることなど、滅多にない。
プライドが高く見栄っ張りな女優が、人前で酔って醜態をさらけるなど、あり得ない。

すぐそばにギャラリースペースがあり、イタリアの画家による版画展が開かれていた。
ジェイは照明を避け、月影のソファへと彼女を導いた。

《彼に約束をすっぽかされて、滅入っているの。そのうえ、あなたの可愛い恋人を見せつけられて……もう、ジェラシーでひどい気分だわ》

クリスは、子どものように、整った爪を噛む。

《彼、クリスマスにビバリーヒルズへ帰ったきり、連絡もない。離婚の話をするはずだったのに、娘の顔を見て気が変わったらしいわ。──彼に捨てられ、あなたに見放され、そのうち世間からも忘れられる》

三十三歳。ハリウッドの過酷な年齢差別からすれば、もはや主演女優の年齢ではない。
エージェントもあからさまに若い女優を優先し、かつてのドル箱だった彼女は、いまやお荷物扱いだ。

だが、商品としての〝クリスティーナ・ベッティ〞に、方向転換は限りなく難しい。
イメージチェンジに失敗すれば、彼女のみならず、ベッキーやパーソナルアシスタントたちも路頭に迷わすことになる。

無理のある役作り。台頭してくる若手女優への嫉み。衰えてゆく肉体への恐怖。
様々な負の感情と闘いながら、いずれ降ろされるスターの座に、彼女は必死にしがみついている。
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