桜ふたたび 前編
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──何の悪ふざけだ?

アレク自ら設計したカプリのヴィラは、モダンアートの傑作と評されている。
なのに、用意された部屋には、白いレースの天蓋が垂れるベッドにフリル付きのペア枕。純白のベッドカバーの上には、これ見よがしに深紅の薔薇の花びらが、ハート型に撒かれている。

青の洞窟やらアウグストゥス庭園やらと、しつこく観光を勧めてきたのは、この御大層な演出準備のためだったか。
何と悪趣味な。

──もっとも、澪がいつになくはしゃいでいたから、有意義な時間ではあったが。

「何を見てるんだ?」

澪はバルコニーへ出たきり、じっと動かない。

ここは山手側で、ロケーションはさほどよくない。剥き出しのゴツゴツとした岩間に、柑橘類の段々畑が連なり、その間を細い小径が蛇のように這っている。
正面の葉陰に車が一台駐まっているのは、農作業の最中なのだろう。

澪は振り返らず、近くのオリーブの木を小さく指差して、声を潜めた。

「ほら、あそこ……。鳥がとまってるの、見えますか?」

葉陰に、黄緑色の鷸に似た小鳥がぽつんと一羽、うなだれるように嘴を羽根に埋めていた。

「さっきから、ずっとあのままなんです。……怪我してるのかしら?」

「寒いからだよ。さあ、澪も中に入って。冷えるだろう?」

踵を返して、ジェイは振り返った。澪は手摺りを掴んだまま、まだ鳥を見つめている。

「そんなに心配なら、捕まえてきてあげようか?」

澪はゆるりと首を振った。

「野生の鳥だから……」

哀しげなその言葉に、ジェイはうなずいた。

野生のものに手を差し伸べることは、人間の自己満足。弱いものが淘汰されるのは、自然の摂理なのだから。
弱者は強者の血肉となり、生き残ったものが種を繋ぐ。すべての存在には、生きるポジションが決まっている。

溜め息を吐いた項の白さに、ジェイはそっと唇を押し当てた。

電流が走ったかのように、澪は小さな声を上げる。
すぐさま背後から抱きしめて、耳朶を啄む。

「ひと……が……見てます」

「鳥しか見てないよ」

セーターの内に手を潜らせ、胸の頂きを摘むと、澪は艶めかしい声を発して、熱い背中を凭れてきた。

「君は、温かいな」

顎を持ち上げて、唇を塞ぐ。唇も頬も冷たいのに、口の中は熱を帯びていた。遠慮がちな舌を絡め取り、深く、強く、飲み込むように味わうと、澪は小さく喉を鳴らして身を預けてきた。

「さあ……もうじらさないで」
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