桜ふたたび 前編
〈New Yorkで一緒に暮らそう〉
逃げ腰なのはいつものことだから、すぐに〝Yes〞と答えるとは、期待していなかった。
しかし、澪は、ほんの一瞬でも喜色を浮かべることなく、即座に首を振ったのだ。それまで胸の中で、夢現の満ち足りた表情をしていたのが嘘のように。
澪の強い拒絶など、今まで経験したことがない。
理由をいくら問い質しても、彼女は貝のように口を閉ざし、目を合わせようともしなかった。
ジェイは澪に視線を戻すと、
「理由を聞かせてほしい。なぜ?」
澪はここでもノーコメントを続けるつもりらしい。
「澪!」
声が響き、澪は怯えて体を小さくした。
澪は大きな物音や声に、異常に強い反応を示す。
何かトラウマがあるのか、特に怒鳴り声には過敏だった。テレビの音声であっても、怒声を聞くだけで身をすくませるほどだ。
臨席の男が、薄幸の美少女を見るように澪を見て、ジェイを睨んだ。
いたいけな少女が男に恫喝されているようにでも見えるのか。だが、他人の目を構うような彼ではない。
「納得できる答えを聞くまで、日本には帰さない。このままNew Yorkへ連れて行ってもいいんだ」
実現不可能なことを、あえて言った。重い口を開かせるには、これくらいの脅しが必要だ。
澪は切羽詰まった顔を上げた。「お願いだから、時間をください」と言いたげに。
だが、朱色を濃くしたアースアイが、態度ではなく言葉のみを求めているのだと悟ったのか、彼女はようやく、消え入りそうな声を出した。
「ニュ、ニューヨークには……わたしの居場所がないから……」
思えば、昨夜から澪の声を聞いていない。声を聞いたことで、ジェイはいくらか沈静した。
「ひとりでいるのが不安なら、Paris にもFrankfurtにも一緒に行こう」
「そのたびに、わたしは現実を思い知らされます」
「どういう意味?」
澪は何度か口を開いては、閉じた。
臆病で慎重な彼女は、言葉を選びすぎて、肝心なところで声を呑み込む癖がある。
ジェイは、そっと彼女の背中を押すように、声をかけた。
「澪」
澪は意を決したように、ゴクリと唾を飲み込んで、顔を上げた。