桜ふたたび 前編

4、病葉

比叡山の山影を雪女の衣のように霞ませて、寒々とした賀茂川の流れの上にも、水辺の枯草の上にも、対岸の植物園の冬木立にも、粉雪は静かに降り注いで雪化粧を施してゆく。
まるで清閑な水墨画の世界だ。モノクロの風景に時間は止まっている。ただ川面に群れなす都鳥たちだけが、騒がしい声を上げていた。

ジェイは、病室の窓硝子が曇るほどの溜め息を吐いた。
澪との音信が取れなくなって、柏木を聴聞したとき、奥歯に物が挟まったような報告に異変を感じてはいたが、まさかこんな事態になっているとは。

枝先を落とし骨だけになった欅の梢に、病葉が一枚揺れている。雪に打たれて濡れて、今にも落ちそうだ。まるで今の澪のように。

──メニエール病。

ジェイは、澪の病名が明らかになったことで、ひとまずは安堵していた。

しかし、見るに忍びないほど痩せて、なぜ連絡を寄こさなかったのか。
こうなれば一刻も早くニューヨークへ連れ帰り、最新の治療を受けさせるのが得策だ。

背後で軽い咳音がした。

ジェイはベッドへ歩み寄り、澪の顔を覗き込んだ。
唇は白く乾いたままだが、薬が効いたのかいくらか血色がよくなった。

澪は薄く目を開けて、ゆっくり瞬きをするように、一度瞼を閉じてから開いた。

「目が覚めた?」

「……」

澪は朦朧と白い天井を見つめている。

「詳しい検査が必要だから、二・三日、入院することになった」

言いながら、ジェイは椅子を引っ張って腰を下ろした。

「栄養も足りていないそうだ。いい機会だから、ゆっくり休むといい」

聞いているのかいないのか、澪は反応を見せない。再びゆっくりと瞬きをすると、力ない目を向けた。

「クリスは?」

「クリス? ああ、知っていたのか。幸い足の骨折くらいで、一ヶ月ほどで退院できるそうだ」

「顔は?」

「顔? そう言えば、額のこの辺りにプラスターを貼っていたかな?」

「……そうですか……」

「他人のことより自分の心配をしなさい。何度も連絡したのに、どうしていたんだ?」

澪はやおら視線を流した。

「すみません。ご迷惑をおかけして……」

ジェイは澪の手を取ると、その甲を撫でながら微笑んだ。

「退院したら、一緒にNew Yorkへ行こう。もう澪をひとりにはしておけない」

今度こそYESと言うだろうと自信を持っていたのに、澪がゆっくりと大きく頭を振るのを見て、ジェイは嘆息した。意固地にもほどがある。
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