桜ふたたび 前編
──何だ? この敗北感。
手元まで誘い出した小鳥に、羽で頬を打たれて飛び去られた気分だ。
望んで得られぬものなどない。幼い頃からそう自負してきた。
物事には必ず定義があり、情報、理論、観察、金──それがそろえば、人の心すら容易く動かし、手に入れることも可能だ。
それが、あんな小娘相手に、何という無様。
そのうえ、逃げた小鳥の行方を気にかけるなど、らしくもない。
いや、はじめから柄ではなかった。女を誘い出すために時間を費やすなど、まったくの無駄だと思っていたのに。
セックスの対象ならいくらでもいる。なぜ澪にこだわるのか。
──桜のせいだ。
ふくよかな春の香り、夕闇に淡雪のように浮かびあがる桜、桜の精のように儚げにたたずむ黒髪の女。
あの情景を思い出すたび、郷愁にも似たやるせない感情が胸奥に湧き起こる。
その感情が、風景にではなく、封印した写真に対するものだと気づいて、ジェイは左頬に自嘲的な窪みを作った。
──やはり、あの瞳のせいだ。あの瞳の前でなら、すべての罪が赦される。
──懺悔は神の前でするものだろう?
ジェイは、感傷的な己を嗤った。
『失礼します』
ああ、またタイムキーパーがやってきた。
ジェイは、声に背を向けたまま深呼吸をし、気持ちを切り替えた。