桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

ジェイは、濡れそぼつ高層ビルの窓から、ぼんやりと地上の往来を眺めていた。

週末で交通量が少ないうえに、嵐の気配に人影も疎らだ。街路樹が、生き物のように蠢いている。流れる雲の隙間から薄日が漏れて、大都会に光陰の帯をゆっくりと走らせて行った。

──京都へ帰っただろうか。

澪の表情が、古い映写機のように脳裏を流れた。

昨夜の彼女の態度は、想定外だった。

澪は自分に特別な感情を抱いているはずだ。
突然の呼び出しに雨の中を駆けつけてきたのも、頬を染めた笑顔も、濡れた瞳の輝きも、唇の艶っぽさも、恋する女の典型的な特徴ではないか。
京都駅では、はやる欲情を悟られまいと、つい素っ気ない態度を取ってしまったほどだ。

加えて過去の経験から、自分の誘いを拒否する女はいないと高を括っていた。

それが、まさかの緘黙。怯えた瞳は、恐怖や嫌悪さえ感じられた。

といって、完全に拒絶する態度でもない。
値打ちをつけようともったいぶって駆け引きする女とは思えないし、こんなケースは初めてだった。

心の準備とやらが必要なのかと、猶予まで与えた。
何事もチャンスは一度がセオリーの男が、破格の譲歩だ。

それに応えるように、彼女は一度は部屋を出て来たのだ。
連日の疲れもあったとはいえ、居眠ってしまったのは不覚だった。
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