桜ふたたび 前編
しまった、と澪はクローゼットに目を泳がせた。
メールをスルーすれば、澪のことなど自然消滅する。そう思っていたのに──まさかこんな展開になるとは。
やはり彼は、一足飛びを行く。
澪は意を決して立ち上がり、クローゼットから利休色のリングケースを取り出した。
ジェイの足許に正座すると、おずおずずと両手で捧げもつ。
「すみません。これは……、お返しします」
「なぜ?」
なぜ、と問われても……。
セックスの対価など受け取れない。いっそう惨めになるし、だいいち、高価な指輪に見合うカラダではない。
返そうにも、送り先がわからないし、かえって恨みがましいととられないかと、夜も眠れず悩んでいたところだったから、ちょうどよかった。──と、頭では答えられても、口ではうまく言えない。
「また黙る。言葉にしてくれなければ、わからない」
怒らせたかと目を上げたとたん、心の奥を探るような視線に合って、澪は体を強ばらせた。
目を逸らすことも許さないような瞳。答えるまで沈黙のプレッシャーを続けるつもりらしい。
ついに耐えきれなくなって、澪は苦しげに言った。
「ジェ…ジェイさんのことが……、雑誌に……載っていました……」
「そう。何の記事?」
何でもないことのように言うのは、普段からマスメディアに慣れているからなのか。
「本名は……ジャンルカ・アルフレックスさん」
「うん」
ジェイは悪びれもせず頷くと、「ああ、そういうことか」と合点がいったように呟いた。
「Gianlocioの〝GIAN〞はEnglishの〝John〞。頭文字から〝J〞と呼ばれている。祖父の名を受け継いだから〝Jr.〞という意味もある。
それに、私の仕事は、Buyout fundだ。投資家から集めた資金で企業を買収し、再生・転売して利益を得る。だから、〝Jker〞という皮肉も込められている」
ジェイをデパートのバイヤーだと言ったのは千世で、もっと遠い世界の人だろうとは、澪にもなんとなくわかっていた。
それに、彼がどんな肩書きであろうと、どんな身元であろうと、澪には興味がなかった。