不幸な平凡メイドは、悪役令弟に溺愛される

 目が覚めると、まずは見知らぬ天井が見えた。

(ここはいったいどこなんだろう?)

 なんだか重たい身体を頑張って起こした。キョロキョロと周囲を見回すと、見たこともないような綺麗なシャンデリアや家具が置かれた部屋。
 寝台から降りてみて、近くにある木彫りのテーブルに目をやった。ピカピカな上に丁寧に紋様が彫られていて、ちょっと平民だと一年ぐらい給金を貯めたところで購入は出来そうにない。

(あれ……? わたしは、馬に蹴られて死んだんじゃ……?)
 
 こうなる直前、平民街の大通りを歩いていたような……。

(てっきり馬の蹄で頭を踏まれて、十六の若い命を散らした……なんて思っていたけれど……そうではなかったのね……)

 だとしても、なぜに道端に転がったままではないのだろう?

 百歩譲って考えてみた。

 善人な誰かが、わたしを救助してくれたのだとして、なぜこんなにお金持ちのような家にいるのだろう?

(商人の家かなぁ?)

 家具なんか傷つけたら絶対に弁償できない。

(極力この部屋の中にある家具や調度には触らないようにしなきゃ)

 そろりそろりと廊下を移動した。

(とにかくぶつかったら大変)

 高価な品物達を避けて歩く。

 並べられた鏡や彫刻、絵画等々を回避して、これは割ったら絶対に不味いと思われる巨大な壺を避け……

 ついに、わたしは扉に近づくことに成功した……!

(いつもなら何かが起きそうなのに、幸運の女神が舞い降りた?!)

 自分自身の幸せぶりに、思わず胸の前で拳を握る。
 そうしていざ、ドアノブに手を掛けた次の瞬間――。

「くぎゃっ!!!」

――扉が勢いよく開いて、わたしの顔に直撃した!!!
 
 到底女の子が出すとは思えない、蛙がつぶれたような声を挙げて、そのまま後ろにひっくり返って倒れてしまう。
 またもや天井が見えた。
 
 そして案の定――。

 ガッシャーンと大きな音を立てながら割れる壺。

 破片と一緒に、私のは地面に崩れる。

(お嫁に行く前の大事な顔に傷が――)

 傷つく以前に――!
 
(高価な壺を割ってしまったので、怒り狂ったこの家の主に、どこかに売られたり……! 命を奪われたり……! 下手をしたら、すっごい気味の悪い商人の愛人にされちゃったり……!)

 悲観したわたしの頭の中を、これまでの人生が駆け巡り始めた。

(こんなことなら、好きだった人に告白すれば良かった……!)

 兄の親友である紅い髪の男性を思い出した。

 お兄ちゃん曰く、彼は婚約者を亡くされた女王陛下の恋人に収まったらしい。
 だけどやっぱり、告白ぐらい経験して死にたかった……。

(これが噂の走馬灯!? なんて思っちゃったり、あれ? わたし、わりと余裕ある?)

 気づいたら――。

 わたしの身体の周囲で陶器の欠片たちが宙に浮かんでいる。

 というか――。

 おそらく魔術で、わたしの身体もふわふわと浮いていた。

「助かったの……?」

 壺の欠片が、わたしの身体を避けて地面に落ちていくのが見えた。
 ゆっくりと足先が地面に着く。わたしは地面に降り立った。

 ほっとして溜め息をついていたら、さっと目の前に影が差す。

 反射的にそちらの方を向く。
 そこにはなんと――。

(え――?)

 あまり日焼けしていない肌に、さらさらした漆黒の髪、菫色の切れ長の瞳を持った綺麗な顔をした男の人が、扉の前に立っていたの。白いシャツの上に紺碧のフロックコートを着ている。一目で高価な物だと分かった。

(街では見掛けない綺麗な男の人……憧れのあの人に比べたら好みではないけど……)

 ちょっと色んな意味で動悸がしてきた。カッコいい男性を見たのも、もちろんある。だけど、どう贔屓目に見ても貴族の殿方である彼に、一体いくら弁償金を払わされるのだろうかと不安でいっぱい……。

(ひとまず、気を取り直さなきゃ……)

 わたしは、彼に名前を聞いてみる事にした。

「あ、貴方のお名前は……?」

 声が上ずってしまった。だって緊張しちゃってる。

 そうして目の前の男性が、ものっすごく機嫌の悪い顔に、とーっても低い声で名前を教えてくれたんだけど……。


「テオドール・ピストリークス」


 わたしの目の前が灰色に変わったように錯覚する。

(その名前は……!)

 近所の世話好きなおばちゃんの声が頭に響いた。

『マリア、悪いことは言わない、ピストリークス家には絶対に近づいちゃいけないよ! あそこの屋敷は近付くものに呪いをかけてくる、冷たくて極悪な魔術師が主なんだからね! あんたドジなんだから、近づきすぎたら今度こそ不運の嵐だよ!』

(お、おばちゃん、わたし、屋敷に近づくどころか、おそらく屋敷の中に踏み行って……)


「うぎゃぁぁぁあっっ!」


 そうして、わたしは絶望のあまり大声で叫んだあげく、またもや意識を失ったのでした。



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