龍は千年、桜の花を待ちわびる

青鬼の章

私は南の街に住む、貴族の家に生まれた。名は与えられなかった。私の呼び名は『青いの』。

物心ついた頃には、屋敷の地下牢に居た。


貴族として、私を表に出したくなかったのだろう。表向きは私は死産ということになっているようだった。


母上は私を産んですぐ、体調を崩し寝たきりになった。いつ亡くなってもおかしくない状態だったと、後に知った。

けれど、母上は無理を押して毎日私に会いに来た。


「私の愛しい…青い子…。」


名付けることを父上に禁じられていた母上は、牢の柵越しにいつもそう言って私を愛でた。頭を撫で、頬を撫でてくれた。


「いつか、『大切な人』を見つけられますように…。」


私にとって唯一の、幸福だった。


けれど私が6歳の頃、母上は亡くなった。


それからすぐに、私は南の海に浮かぶ孤島に移された。

それは家が所有する島で、生活に必要な物は工面されたが、孤独な生活が私を待っていた。


屋敷の地下牢に居られたのは、母上のおかげだったのだ。

けれど母上が居ないのであれば、私ももうあんな地下牢に用はなかった。


何にも縛られず、島の中ならばどこへでも行ける。私が手に入れた、小さな自由だった。

毎日陽の光に当たり、星空と月を眺めながら眠る。


とても、人間らしい生活だった。


そうして14年が経った頃。


「見つけたわ!」


そう言って、天から少女が舞い降りた。


「天女…?」


私は心の声を漏らしてしまった。

たびたび物資を工面しに来る家の者たちは、私が話し掛けても口をきくことはなかった。

だからもう、誰にも話しかけまいと決めていたのに。


咄嗟に口を隠した私に、桜琳は笑った。


「私が天女に見えるなんて、よっぽど女性に触れていないのね。」


眩しい笑顔だった。それから桜琳から名を授かった。

その後、何年も時をともに過ごした。皇憐が封印されてからも、ずっとずっと。


あの日天女に見えた、あの瞬間の光景を桜琳の死後もありありと思い出せた。


私は、桜琳が大好きだった。例え隣に並ぶことができなくとも。

皇憐と居る桜琳も、秀明と居る桜琳も、子や孫と居る桜琳も、年老いてしわくちゃになった桜琳も、大好きだった。


だから結と出逢った時、つい『桜琳』と呼んでしまった。秀明からあれ程ダメだと言われていたというのに。

そしてその晩、我が家に宿泊した皇憐が酒を煽りながら文句を垂れたのだ。


「『良いとこの娘として産まれて、良いとこの男と結婚して、子を授かって天寿を全うした』だと!? 間違っちゃいねぇけど…、俺のこと欠片も覚えてねぇってどういうことだ!」


あんなに愛し合っていた2人なのだ。皇憐がそう言うのも致し方ないのだろう。

けれど…、そこには我ら鬼の存在も含まれてはいない。


素直に怒れる皇憐が羨ましかった。そこに同乗するのは、厚かましいというものだろう。


けれどすぐに、結は桜琳であった頃の記憶を取り戻した。

そしてそれを知ったときにはもう、結としても…皇憐と想いを通わせた後だった。

結局、私が入る余地などなかったのだ。


私はやっと、長かった初恋に終止符を打った。


とはいえ、桜琳…結が不在の間、愛を伝え続けてくれていた木通に惹かれていたのも事実。


踏ん切りがつかぬゆえ、結に会ってみたいと言ったのは私だった。

よく待っていてくれたものだと、木通には感謝しかない。



私は眠る木通と、先日無事に産まれた待望の我が子の額に口付けて、その寝顔を眺めた。

これが今の、私の幸せだ。


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