龍は千年、桜の花を待ちわびる

白鬼の章

私は産まれてすぐ、見せ物小屋に売り飛ばされた。

宣伝文句は『実体のある幽霊』。完全に見せ物だった。見せ物小屋の稼ぎ頭となった私は、その白さが伝染しないことを悟られると、丁重に扱われるようになった。


けれど10歳で見た目の成長が止まり、物珍しさもなくなった頃には、物好きな貴族の家に売り飛ばされるようになった。

観賞用、愛玩用、慰み用。


何十年そんな生活を送っていただろう。


やがて私は心を閉ざし、必要最低限しか口を開かなくなった。


そうして年齢だけは45を過ぎた頃。

私は最後の所有者であった、老夫婦に買われた。


老夫婦は首都に住まう中間層で、子も孫もないと言う。どんな目に遭わされるのかと、もう想像すらしなくなった頃だった私は、想定外の扱いを受けた。


「孫ができたみたいで嬉しいわ。」
「儂らは戦乱の最中で、子を失ってしもうたからのぅ…。」


私はそこで思いがけず、綺麗な愛を受けた。初めての愛だった。


綺麗な服を着せてもらい、一緒に温かい食事を摂り、温かい寝床で眠る。湯浴みだってさせてもらえる。

天国かと思った。けれど私は死することができない身。天国なはずがない。


老夫婦は私を本当の孫のように大切にしてくれた。

けれど、45年以上かけて形成された私の警戒心は、そう簡単には崩せなかった。私は愛の受け取り方が、分からなかったのだ。


結果として、老夫婦とともに過ごした2、3年の間、私は非常に幸福だったけれど、少しの意思を言葉として口にできるようになるのがやっとだった。

2人はそれを責めたりはしなかった。

きっと私の噂を聞いて、どんな境遇だったのかを知っていたのだろう。


その後、皇帝が出した触れを見てすぐに2人は私を宮殿へと送り出した。


「幸せにおなり。」


それが、最後の言葉だった。その後、2人はすぐに亡くなってしまったと風の噂で聞いた。


「初めまして、私は桜琳。来てくれてありがとう! あなた、名は?」
「沢山…ある…。」
「あら、そうなの!? じゃあ、私たちとの生活の再出発ということで、私が名を付けてもいいかしら?」


私は頷いた。

新しい名を付けられることなど、いくらでもあった。だいたいは『(しろ)』だったり、『天の御使(みつかい)』だったり。

もう、何だっていい。

最後の老夫婦は、自分たちの子の名で私を呼んでいた。幸せだったけれど、結局歪んだ愛だったのかもしれない。

そんな風に思っていた私に、桜琳は新しい名をくれた。


「『空』。どこよりも自由な空間よ。沢山の表情があって、誰も制することができない場所。…どう?」


そう訊ねられて、一筋涙が零れた。


空なんて、気にしたことがなかった。

けれど、沢山の表情を持つ。そして、誰にも制されない。桜琳は、私が求めるものを名1つで与えてくれた。


それから、桜琳が死んで、結と再会して、また別れた。けれど、桜琳と出逢ってから私がどれ程幸せだったか言葉では言い表せない。



「どうしたの? 空。」
「陛下…。」


家系図の巻物を見る私に、夫となった皇帝が声を掛けた。


「桜琳や…秀明と同じ所に名が記されていると思うと…嬉しくて…。」
「そっか。それでよく家系図を見ているんだね。」
「き、気付いておられたんですか…!」


ワタワタする私に、陛下は可笑しそうに笑った。


「死しても、同じ廟に入れる。ずっと先代様たちとは一緒だよ。」


そう微笑まれて、私は笑い返した。


「お腹の子は元気?」


そっと陛下が私の下腹部に触れた。今、ここには新しい命が宿っている。

しかし、私には懸念があった。


「もし…、この子も真っ白だったらと思うと…、少し複雑です…。」


そう言うと、陛下は笑った。


「もしそうだったら、『鬼の加護』だ。我が国の英雄の血を色濃く継いだ証拠だね。」


なんて、一瞬で私の不安を吹き飛ばしてくれる。

実は陛下の姉上にも同じように話したところ、同じようなことを笑って言った。


(この2人…、間違いなく秀明と桜琳の子孫だ…。)


2人が思いがけず子孫に遺したもの。それは、優しくて温かな思想だった。

それを思うだけで、口元が綻んでしまう。


金言もたまに帰ってくるし、焔も、水凪と木通も定期的に顔を出してくれる。

スクスクと成長する彼らの子を見て、次世代への希望が湧いてくる。


結と皇憐、秀明は元気だろうか。


いろいろなことに思いを馳せながら、私は今日も彼らが愛したこの国を、この国の民を、そしてこの宮殿の桜を、愛でるのだった。


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