だって、しょうがない
 息が掛かるほど近くで聞こえた翔の声に愛理の心はソワソワと落ち着かなくなる。それなのに混雑している車内では、逃れることも出来ない。
 
 愛理は俯いたまま「大丈夫」と小さな声で答えた。
 電車が揺れるたびに、触れ合う距離がもどかしい。

 やっと、降りる駅のホームが見えて、この状態から抜け出せると、ホッとしたのも束の間。電車がガタンと大きく揺れて停車する。その拍子に揺れに押された愛理は、翔の胸にしがみついてしまった。

「ご、ごめんね」

 焦りながら、顔を上げると翔の顔を間近で見上げる形になり、視線が絡む。

「オレは平気だよ。愛理さんは?」
 と甘やかに微笑まれると身の置き所がない。
 自分ひとりだけが、変に意識してしまって空回りしているように感じた。
「う、うん」
 焦って意味のない返事をしてしまう。

 プシュッとドアが開いて、熱くなった頭を冷やすような冷たい風が駅のホームを駆け抜け、体温をさらっていく。
 ぶるりと身を震わせる愛理の手を大きな手が包み込む。
「愛理さん、こっちだよ」
 愛理の手を引き、翔は少し前を歩き出した。
 冷たい風が和らいだ。それは、前を歩く翔が風よけになってくれていたから。
 繋いだ手の温かさを感じて歩き続けた。
 
 

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