だって、しょうがない
 ケガをして体調を崩すかもしれない、ホテルにひとりにさせるのは心配だと、翔の提案で中村の家へ来た愛理だった。けれど、離婚予定の夫の実家でもあって、なんとなく身の置き所がない。
 その様子を察してか、翔が椅子を引き、「どうぞ」と着席を促した。愛理は、おずおずと椅子に座る。

 ダイニングテーブルの上には、お皿に並べられたおにぎりや、お新香などが用意されていた。

「翔、お手拭きあるから、愛理さんの手を拭いてあげて」

 と、お汁が入ったお椀をテーブルに置きながら、母親の声が聞えた。翔は言われるままに、かいがいしく愛理の手を拭き始める。

「じ、自分で……」

 恥ずかしさも手伝って、愛理は自分でやろうとしたけれど、翔はそれを譲らない。

「ダメだよ。無理して傷口が開くと大変だよ。5針も縫ったんだから」

「ケガは、自分のせいだよ。よく考えたら、翔くんの運動神経なら避けられていたかも知れないのに、私が手を出したから……」

「でも、避けられなかったかもしれない。愛理さんにまた、助けてもらったんだよ」

 淳から守ってくれようとして、翔は危ない目に遭っているのに、感謝されるのは申し訳なくなってしまい、愛理は首を横に振った。

母親の声が、ふたりの間に割り込んで来る。

「淳のしたことは、ケガのことも不倫のことも含めて、本当にごめんなさい。親として出来る限り償わせてもらいたいの。それに愛理さんをお嫁さんってだけでなく、実の娘のように思っていたのよ。お願いだから力にならせて」

悲しそうに顔を歪める母親に、愛理はかける言葉が見つけられず、ケガの無い方の手をそっと添えた。
その手の温かさにホッとしたのか、母親はポツリとつぶやいた。

「ナイフまで持ち出してケガをさせるなんて、思春期ならいざ知らず、30も手前になった子供のことでこんなに悩むとは思わなかったわ。何がいけなかったのかとか、どこで間違えちゃったとか、いろいろ考えちゃって……」

 

 
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