だって、しょうがない
「母さんと兄キの話し、愛理さんに聞こえていたみたいだよ。落ち込んでいる」

 リビングに戻った翔は、ソファーに腰を下ろした。それと入れ違うように母親がソワソワと立ち上がる。

「そろそろ、お父さんも帰ってくるから、ご飯の支度に戻ろうかしら」

「母さんも愛理さんに余計な事言うなよ。孫が欲しいとか。まったく、たまに実家に帰ってきたらモラハラ、マタハラの自覚無しの家族とか、カンベンしてくれよ」

 そう言って、翔はソファーに深く寄りかかり、天井を仰いだ。バツが悪くなった母親はそそくさとリビングから立ち去って行く。

 翔がチラリと淳の様子を窺った。その視線に気づいた淳は、躱すようにテーブルの上に視線を落とす。そして、膝の上に両肘をつき、隠すように組んだ両手を口元にあてポソリと呟く。

「俺は、別にモラハラなんかしてないよ」

「自覚無しとか、一番タチ悪い。さっきのはモラハラだよ。可愛い弟が兄キにピッタリの格言を授けてあげよう ”いつまでもあると思うな愛と嫁”」

「ばーか」
と言って、苦笑いを浮かべているを淳を翔は真っすぐに見据えた。

「兄キ、さっきなんて言ったか、覚えてるだろ⁉」

「何言ったっけ?」
 淳はとぼけるように視線を漂わせた。

「兄キの嫁さん……。愛理さん、俺が欲しければくれるんだよな。せっかくくれるって言われたから、遠慮はしないよ」

「えっ⁉」

 淳の耳にドクドクと早く脈動する自分の心臓の鼓動が聞こえた。
 ふたりの間に沈黙の時間が流れる。
 その沈黙を破ったのは、翔のクスリと笑う声だった。

「な~んてな。兄キも少しは危機感持って嫁さん大切にしなよ。俺じゃなくても他の男が、愛理さんの魅力に気付いて、攫って行くかもしれないよ」

そう言った翔の瞳が笑っていないことに、淳の鼓動はいっそう早い脈動を続けていた。

< 31 / 221 >

この作品をシェア

pagetop