だって、しょうがない
「今日は、疲れたよな」

 自宅の玄関で靴を脱ぎながら、淳は愛理へ話し掛けた。だが、愛理は視線を逸らし「うん」と短く返しただけで、靴を脱ぐと目も合わせずにサッと洗面室へと入って行く。
愛理の普段とは違う様子に、淳は軽い気持ちで言った言葉を聞かれたのは拙かったと、息を吐き落とした。そして、リビングのソファーにドカッと腰をおろし、背もたれに寄りかかる。

「あー、だるい」

 実家での出来事を思い出した淳は、普段の倍、疲れた気がした。
 弟の翔に向けられた真っすぐな瞳。
 投げかけられた言葉が脳裏によみがえる。

「遠慮はしないとか、他の男に攫われるとか、生意気に俺に忠告でもしているつもりかよ」

 ひとり呟き、胸の中のモヤモヤを吐き出すように、「はーっ」と深くため息を吐いたところで、洗面室から出て来た愛理がカウンターの先のキッチンへ入ったのがわかった。

「俺、お風呂洗ってこようか?」

ご機嫌取りに言ってみたが、愛理からは抑揚のない声が帰ってきた。

「もう、洗ってきたから、沸いたら入って」

 そう言って、愛理は両手に持っていたコーヒーカップを1つだけ、淳の前のリビングテーブルに置き離れていく。そして、ダイニングの椅子を引き、自分の分のコーヒーを飲み始めた。

 普段なら、”どうぞ”とか”はい”とか言って、渡してくれるのに黙ってテーブルの上にカップを置かれた。その事を寂しく思った淳は、愛理に向かって話かけようとした。けれど、不意にポケットの中のスマホが振動を始める。

 さりげなさを装いスマホを取り出しタップした。画面に表示された文字を見て、眉根を寄せる。それは、交際相手からのメッセージだった。

愛理の様子をチラリと窺い、淳はスマホに返事を打ち込んだ。

『また、連絡する』
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