先生と私

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「美彩《みさ》、また質問?」
「うん! 行ってくる!」
 私は愛莉の問いに短く返して弁当箱を急いで片付けると、古文の教科書を手に走るように教室を出た。昼休みか放課後の少しの間しか質問する時間はない。私にとっては重要な時間。
 視界に談笑する男女が入った。
 彼氏彼女かな。
 恋愛に興味がないわけではない。彼氏だって欲しいと思う。でも、古文以上にときめかないのだから仕方ない。
「失礼しまーす」
「おお〜、中川か。いつも感心だな」
 職員室に入ると学年主任の新山先生が声をかけてきた。
「山村先生だろ? 奥にいるぞ、多分」
 生ぬるい目で笑われて、私はそういうのじゃないのに、とむっとする。
 職員室の奥には小さな部屋があって、そこで一部の先生方は休憩時間にコーヒーを飲んだり、読書や授業準備をされたりしているのだ。
 私は古文の教科書を胸に抱いて大股でその部屋へと向かう。
「失礼しまーす。山村先生いますか?」
 ドアを開けて覗くと先生が三人いた。その中の一人が、青いマグカップを手に読んでいた資料から顔を上げて、私を見てふっと笑った。
 古文の山村先生。一昨年教師になったばかりの若い男性だ。
 愛莉を含めて、周りの友人、先生方が誤解するのも無理はない。
 山村先生。眼鏡の下には長いまつ毛に縁取られた奥二重の綺麗な目。通った鼻筋に、薄めの柔らかそうな唇。確かに整った顔立ちだ。かっこいいとは思う。けれど、私は別に先生に恋しているわけではない。先生はあくまで私の古文の質問に答えてくれる、同じ古文愛を持つ貴重な存在だ。
「熱心だな、中川。今日はどこが気になるんだ?」
 質問されるのは教師冥利に尽きるものなのだろう。山村先生はいつも嬉しそうに笑って私の質問を聞いてくれる。授業中のどこか緊張した真面目な顔とは違う、年齢よりさらに若く見える笑顔。
 若くて美形な山村先生はもちろん女子高生からモテる。そんな山村先生のこんな顔を知っているのは私ぐらいかもしれないと思うと、ちょっぴり優越感は感じる。
「今日習った和歌ですが、こんな解釈もできませんか?」
「うん? どんな?」
 私は自分の思いついた解釈を熱弁する。山村先生は面白そうにそれを聞いている。
「ふーん。なるほど。中川はそうとったか。だがな、この部分は……」
 山村先生の説明にも熱が入る。
 説明を聞くと私のもやもやが晴れていく。
 分からないことは嫌い。私は白黒はっきりしたいタイプ。なのにあやふやな部分が残るこの教科がどうしようもなく好きなのはなんでなんだろう。
 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「あ、戻らなきゃ! 先生、またね!」
「おう。分からないことがあったらいつでもおいで」
 無駄に可愛い笑顔を浮かべて山村先生が手を振った。
 私は来た時同様に大股で職員室を縦断して、廊下に出てから一気に教室へと駆け出す。毎日のことだ。
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