壮麗の大地ユグドラ 芳ばし工房〜Knight of bakery〜①

第八話 譲れない想い



ノアトーン王国から、南へ国境を越えた先に、マグメルという名の王国がある。

この国には、ブリッツフリッツという町があり、そこは、温泉の()く町として有名で、旅人や観光者も多く、財政は潤っていた。
町には自警団も作られ、治安はそこそこに守られていたのだが…。

今回、(こう)ばし工房の裏仕事で、シグリッドとアイリスは、このブリッツフリッツの町を訪れていた。

「うふふ…温泉なんて久しぶり、大きなお風呂に()かって、美味しいお食事を頂いて、なんて贅沢(ぜいたく)なのかしら。ねー?あなた」

体を覆うタオル一枚。露天風呂という屋外の温泉に浸かって上機嫌でいたアイリスは、隣で同じように湯に浸かる夫へと顔を向けた。

「あー…はは…そうだねー…」

そう答えたシグリッドの表情はどこか残念そうな、悔しそうな、そんなものだった。

というのも、この町の温泉の特徴として、男女が共に温泉に入る、所謂(いわゆる)、混浴制度は、他国でもそう多くはなく、健全な一男子として、異性と同じ湯に浸かれるというのは魅力的なシステムだと、シグリッドは多少の期待をしてここへ来たのだが…

「こんな、だだっ広い浴槽に俺達だけってのは、なんだかなー…」

そう。露天風呂を利用している客は、シグリッドとアイリスの他に誰もいなかったのだ。
アイリスは、小さくぼやいたシグリッドの心中を知る事なく口を開いた。

「男女が一緒に入るなんて、普通恥ずかしいわよ。だからここを利用するのは夫婦やカップルが(ほとん)どで、屋内の浴槽に比べたら人気はいまいちだって、さっきフロントの方が教えて下さったわ」
「くッ…混浴…何のための制度だッ」

可愛い女の子の一人や二人いるのではと、(あわ)い期待に胸を(ふく)らませていたシグリッドが涙ぐむ。
それを見て盛大な勘違いをしている妻アイリスが、どこか嬉しそうに口を開いた。

「まあ、あなたったら、私と一緒にお風呂に入れるのが泣くほど嬉しいの?」
「はい、そうです」

シグリッドは、内心そうじゃないんだけど、と、妻には言えない不純な気持ちを抱えたまま答えた。

「もう、可愛いんだからー」
「はは…」

一人頬を染めて盛り上がるアイリスの隣で、シグリッドが苦笑いを浮かべる。

何はともあれ、妻がはしゃいで喜ぶ姿は素直に嬉しい。
シグリッドは妻の楽しげな横顔を見て、ふっと笑みを浮かべると、星の(またた)く夜空を見上げた。
(かす)かに吹き抜ける風が火照(ほて)った頬には丁度良い。
シグリッドは睫毛(まつげ)を伏せて、温もった体から疲れが抜けるような感覚を楽しんだ。

(しばら)く、夫婦並んで、とりとめのない話をしていた所、ひたひたと人の足音が聞こえ、シグリッドとアイリスは湯気の向こうに見えた人影に目を向ける。

「あら、他にご利用するお客様かしら、貸し切りで快適だったのに、少し残念ね」
「まあな、特別を少しでも味わえたんだ、これで良しとしようぜ」

妻にシグリッドがそう答えると、湯気の向こうの人物は、その姿をはっきりと現した。

「こんばんは、こちら、ご一緒させて頂いても宜しいですか?」

と、控え目に言って微笑んだのは、妻と同年代くらいの女性だった。
ブロンドの長い髪を結い上げた美女に、思わずシグリッドが目を見開く。
そんな夫の様子に気付いていないアイリスは、(こころよ)く女性に答えた。

「はい!とても良いお湯加減ですよ?どうぞ、お入り下さい」
「では、失礼します」

白い肌にタオル一枚を巻いた姿で、女性は、すらりと伸びる足の先を、ゆっくり浴槽へと浸けた。
何とも(なま)めかしいその様に、シグリッドの視線は外せなくなってしまい…

「よし、きたーッ」

と、アイリスから顔を()らしたシグリッドが小声でガッツポーズをする。
これぞ、混浴の醍醐味(だいごみ)ッ!と心の中で神に感謝したなど、妻には到底言えない話である。

「お見掛けしないお顔ですね、こちらへは観光で?」

女性がそう問い掛けると、アイリスは(うなず)いて答えた。

「はい、正確には違うんですけどー…観光みたいなものです」
「明日、ここで知人に会うものですから、今日はこの町で前泊しようと決めていまして。いやー、俺もこの町に来るのは数年ぶりなんですけど、変わらず綺麗な街ですね!」

突然、饒舌(じょうぜつ)に話し始めたシグリッドが鼻の下を伸ばしているのに気付いたアイリスは、()ねたような瞳を夫に向けた。
そんな妻の視線が向いているのにも関わらず、シグリッドは継がれる女性からの問い掛けに答えていく。

「あら、この町にお越しになられた事が?」
「ええ、その頃は騎士団に詰めていたましたので、遠征で何度か同僚と」
「騎士団に?道理(どうり)で、鍛えられたお体をされていらっしゃると」
「いやいや、騎士団を辞めてからは流石(さすが)に体力も筋力も落ちてしまいましたよ」
「そんな事ありませんわ、思わず頼ってしまいたくなるような、お力強さを感じますもの」
「いやー、ははは」

美人に誉められて、益々上機嫌のシグリッドを横目に、アイリスが、むくれた様子で女性に告げた。

「いえいえ、よく見ると、お腹だって出て来ましたし、中年太りの次はきっと頭の方も(まぶ)しくなると思いますから、この人をあまり期待の眼差(まなざ)しでご覧にならない方が宜しいかと思います」
「おい…それは俺の事を言ってんのか」

シグリッドが半眼(はんめ)で、ぼそりと問うと、アイリスは、ふいとそっぽを向いて答えた。

「他に該当者が見当たらないから、きっとそうよ」
「お前なあ…」

そんな二人のやり取りを見て、女性は小さく笑った。

「うふふ、お二人は恋人でいらっしゃいますの?」

夫に手を出されては困ると、これには、いの一番開口したアイリスがはっきりと告げる。

「いいえ!恋人ではなく夫婦です!それはもう数々の試練を乗り越えた、熟練した夫婦ですので!」
「試練…?うふふ!面白い奥様ですね」

懸命(けんめい)(うった)えるアイリスに小さく噴き出した女性の様は、なんとも上品で色気を感じる。
健全な男であれば、鼻の下を伸ばして(しか)りの状況で、シグリッドも例外なく(わず)かに頬を染めて答えた。

「あはは、そうなんですよ、コイツ、真面目な事言っても面白いんで」

そう言ってアイリスの頭をくしゃりと()でてやったシグリッドだが、妻はと言えば面白くなさそうに目を吊り上げた。

「まあ!あなたったら!私の事、馬鹿にしているでしょう!今のは、きっと馬鹿にしたわ!」
「何だよ、お前の個性を誉めてやったんだろ?」
「そんな美味しそうな事言って(おど)しても、木になんかぶら下がりませんからねッ!」

ふい、と再び顔を()らしたアイリスに、シグリッドが苦笑いを浮かべて指摘する。

「それを言うなら、そんな上手い事言っておだてても、木になんか登りませんからね、の間違いじゃないか?」
「ほら!また馬鹿にするーッ!」
「いや、俺は、間違いを正してやったまでで…」
「もう知りません!私、先に上がらせて頂きます!」

アイリスはタオルを巻いた胸元を押さえ湯から立ち上がると、そそくさ浴槽を出ていった。
拗ねてしまった妻に、困ったような笑みを浮かべたシグリッドも、後を追おうと立ち上がる。

「おい、アイリス!待てよ、俺も出るって」

残された女性に会釈をしながら浴槽を出ようとするシグリッドに、ここで振り返ったアイリスは、むっとした顔で声を上げた。

「あなたは、ごゆっくりどうぞッ!」

そう言って体を反転させた所で、アイリスは誰かと肩をぶつけてしまい小さく悲鳴を上げた。

「きゃ…ッ」
「おっと、大丈夫か?」

咄嗟(とっさ)に肩を抱き寄せられて事なきを得たアイリスは、視界の悪い湯気の中、支えてくれた相手を見上げた。

「す、すみません…前を見ていなくて…」

間近にあったのは(たくま)しい胸板、そして視線を更に上へ移せば、端整(たんせい)な顔立ちをした青年の姿があり、アイリスは思わず頬を染めてしまった。

「おい!いつまで肩を抱いてるつもり…」

見つめ合う形になってしまった二人の元へ、今度はシグリッドが眉間(みけん)(しわ)を寄せ歩み寄ると、相手の男性の顔を見て目を見開いた。

「え…お前、トリスタンッ!?」

トリスタンと呼ばれた青年は、シグリッドへ顔を向けると目を(またた)かせた。

「ん?シグリッドなのか?」

意外そうな顔で互いを見遣る男二人の間に立ったアイリスは、ただただ彼らを交互に見遣(みや)った。



――――湯から上がった後、着替えを済ませたシグリッドとアイリスは、先程出会った青年トリスタンと女性を(ともな)い、温泉宿の庭先で茶を楽しんでいた。

「まさか、約束の前日にシグリッドと会えるなんて思わなかったよ」
「俺もだ。元気そうだな、トリスタン」
「お前もな」

このトリスタンという青年、元ノアトーン第二槍騎士団所属の騎士で、シグリッドとは旧知の仲であり、そして、まさに今回仕事の依頼をして来た人物だった。

シグリッドは、隣に腰かけたアイリスに視線を落とすと、トリスタン達へと紹介した。

「こっちは妻のアイリス」
「は、初めまして、アイリスと申します!先程は大変失礼致しました!」

依頼人だとは(つゆ)知らずと、顔を真っ赤にして(しき)りに頭を下げるアイリスに、トリスタンは困ったような笑みを浮かべて頭を()いた。

「いや、そんなに謝らなくてもいいって。それにしても、シグリッドから聞いて想像してたまんまの彼女だな。確かに、ぽやん、としてるわ」
「ぽやん?」

どういう意味かと、アイリスがそう言って目を瞬かせていると、シグリッドは頬を掻きながら答えた。

「誉め言葉として受け取っておこうか」
「誉めてんだよ。お前みたいな騎士道まっしぐらの男に、よく着いて来た女だなって、団にいる頃から、素直に感心してたんだ。彼女がそういうおおらかな性格だから、お前は騎士でいられたんだろう?」
「まあ…な」

トリスタンからの言葉を受けて、少し照れ臭そうに顔を(ほころ)ばせたシグリッドがアイリスを一瞥(いちべつ)する。
ノアトーン騎士団にいた時分、同僚達との話しの中で、アイリスの事も耳にしていたトリスタンは、納得したように彼の妻を見遣った。

そんな話しの中でもシグリッドが気になっていたのは、トリスタンの隣にいる先程の美女の存在だった。

「あー…ところで、彼女はー…」

シグリッドが女性に目を向けて問うと、トリスタンは、にこやかな表情を浮かべて答えた。

「ああ、こっちは、ラウラ。俺の妻だ」
「初めまして、ラウラと申します」

ラウラが軽く首を(かし)げるように会釈すると、シグリッドは驚いて目を見開いた。

「つ、妻だとッ!?お前、結婚してたのかッ!?」
「ああ、一年前にな。つーか、そんなに驚く事かよ?お前だってしてんだろうが」

むっとした様子でトリスタンが答えると、彼女は今回の協力者、もしくは恋人止まりだろうと思っていたシグリッドは、まさかの展開に、半ば感心したように腕を組んで口を開いた。

「そりゃそうだけど、はあ…あの鍛練ばっかで女気(おんなけ)の無かったトリスタンが結婚ねぇ…」
「別に女気が無かった訳じゃねぇぞ?好みの女に(めぐ)り会えなかっただけだ」

女性に対して不器用なのは昔からのようで、トリスタンは(しか)めっ(つら)(わず)かに頬を染めた。

「結婚したのが一年前って事は、騎士団を辞めた後は、直ぐこの町に?」

彼が今より二年前に辞職した事を団長のペレスから聞いていたシグリッドが問い掛けると、トリスタンは(うれ)いた表情で(うなず)いた。

「ああ、ノアトーンでの生活に疲れちまってな。フォラス王子が(まつりごと)に関わるようになってからは特に、辞職して行く騎士が増えた。お前も知ってるだろうが、今じゃ辞めていく騎士は、ろくな扱いを受けていない。俺は、そうなる前に辞めたから事なきを得たがな。騎士団を出て直ぐに、新天地を求めてノアトーンを出たのさ。馴染みのないこの地で暮らすのも悪くないかと思い、住み始めて一年、コイツとこの町で出逢って結ばれた」

互いに微笑み会うトリスタンとラウラを見て、シグリッドはふっと笑みを浮かべると、ふざけるように彼の肩を拳で軽く小突(こづ)いた。

「綺麗な嫁さん貰って、この幸せものが」

照れ臭そうに、また顔を顰めたトリスタンだったが、次いで、真剣な眼差しを真っ直ぐにシグリッドへ向けると、静かに口を開いた。

「この町で、ラウラとこれからも暮らしていきたい。だから、その為にお前を頼ったんだ」
「…」

トリスタンのその目に、(いきどお)りや焦燥(しょうそう)が見えたような気がしたシグリッドは、ただ事ではないと察し、妻に顔を向けて口を開いた。

「アイリス、一日早いが、用意して来た物を」
「はい!」

夫から言われ、頷いたアイリスは、宿泊部屋から持ってきた(かわ)(かばん)を開け、中からパンの入ったペーパーバッグを取り出すと、トリスタンに差し出した。それを受け取ったトリスタンが怪訝(けげん)そうな顔をすると、シグリッドは(ふところ)から一枚のカードを取り出し、口許(くちもと)に笑みを浮かべて続けた。

「郵送して貰った、アネモネのカードに記載の注文品、クロワッサンだ。代金は占めて五百クリソスな?」

そう言ったシグリッドが、にんまりとした笑みを浮かべて(てのひら)を出すと、トリスタンは言われた代金より少し多目の銀貨をそこに落とした。

「本当に商品代しか取らないんだな。たった、それだけの代金で仕事を引き受けるつもりかよ」
「うちはパン屋だから、それ以外の金は受け取らないんだよ」
「話しも、ろくに聞いてないのに、軽々しく引き受けるなんて言っていいのかね」
大方(おおかた)の察しはついてるよ。ペレス団長から、クロワッサンを注文するように言われたんだろ?」
「ああ、そうだけど…」
「クロワッサンはその形状から月を連想させ、その月は『成長と再生』を意味する。さっき、この町で嫁さんとこれからも暮らしたいって言ってたよな?お前自身になのか、はたまた、このブリッツフリッツという街そのものになのかは知らんが、再生しなければならない何かが起きてるって意味じゃないのか?」

シグリッドの話しを聞いたトリスタンは、成程と納得したように笑みを浮かべて答えた。

「へぇ…パンに意味を持たせ、注文されたパンによって仕事の内容を粗方(あらかた)推測してるって訳か…。一市民のパン屋が、騎士団と繋がりを持っている事実を明るみに出さないよう、あくまでパンの注文として(うけたまわ)る。そういう仕組みね」

シグリッドは頷いて、ふっと笑みを浮かべると、旧友に真っ直ぐな瞳を向けて答えた。

「騎士団で同じ(かま)の飯を食って来た仲だろ。俺に出来る事なら、何だって手伝うよ、トリスタン」

そう言ってシグリッドが握手(あくしゅ)を求めると、トリスタンは、かつて(ほこ)りを胸に研鑽(けんさん)して来たノアトーン騎士団での日々を思い出し、(なつ)かしそうに目を細めながら、シグリッドの手を取った。



――――その後、トリスタンとの会話を終えて、妻と共に宿泊部屋へ戻ったシグリッドは、今しがた聞いた話しを整理しようと思い返す中、思いもよらない事実まで知った事に苦笑いを浮かべていた。

「はあ…参った。トリスタンが結婚してたってだけでも驚いたのに、話しを聞いてみれば、まさかこの街の自警団団長にまでなってたとはねぇ…」

その、自警団団長のトリスタンから聞いた、この町に起こっている再生すべき問題。

それは、町長の息子の結婚を取り巻く問題だった。

町長の息子ニコライと、その婚約者である女性リナリー。そして、トリスタンが務める自警団の団員である青年キリロの三人は、この町で共に育った幼馴染(おさななじみ)だという。

しかし、ニコライとキリロが同時にリナリーに想いを寄せるようになってからというもの、三者の関係は、ぎくしゃくし始めた。

(やが)て、リナリーはキリロに対する想いを打ち明けたが、キリロはリナリーの幸せを思い、裕福なニコライとの結婚を(すす)める。
(かたく)なにリナリーからの想いを受け入れず、自警団に情熱を燃やし、そこへ身を置く事を優先したキリロが、彼女を突き放してしまった事がこの件の発端となった。

キリロがリナリーから手を引いた事を知ったニコライは、この機を逃すまいと猛烈なアプローチを続けたが、リナリーはどうしてもキリロへの想いを断ち切れずにいた。

これに(ごう)を煮やしたニコライは、父親である町長の権限を利用して、『婚約を受け入れなければ自警団を解散させる』という暴挙(ぼうきょ)に出たのだという。
脅迫(きょうはく)されたリナリーは、自警団が無くなってしまえば町の治安はどうなってしまうのか、そして、キリロが身を置く場所が無くなってしまえば、彼と、この町で顔を会わせる事すらできなくなってしまうのではないかと考え、選択の余地なく、ニコライからの婚約の申し出を引き受けてしまった。

しかし、悲劇はこれだけで終わらなかった。


『二人の結婚が認められると同時に、我が子ニコライがこの街の町長となる。その時まで、自警団は活動を自粛(じしゅく)せよ。それを破るならば、即刻解散とする』


そう言い放ち、魔物襲撃の備えや、街の治安維持などに重きを置かず、住人の事などはそっちのけで、キリロを遠ざける為だけに自警団の動きを封じたのは、息子を溺愛(できあい)する現町長だった。

トリスタンはこう言った。

『この街の町長は、息子さえ良けりゃそれでいいなんて言ってる大馬鹿野郎だ。この街の魅力に()りつかれて移り住んで来た住人や、ここを故郷とする人々の事なんて、(はな)からどうでも良いんだよ。だから、自警団が出来た。自分達の生活を守る為にな』

しかし、自警団自粛により、町は次第に治安を崩し始め、最近では盗人(ぬすっと)暴漢(ぼうかん)が増えているという。

トリスタンを始めとする自警団団員達は、町の外を徘徊(はいかい)する魔物討伐だけはと、町長の目を盗んで密かに続けてはいたが、そこら中に町長の従者がいる街の中の事については、手も足も出せない状態で、このままでは取り返しのつかない事態を招いてしまうだろうと懸念(けねん)していた。

リナリーがニコライと結婚したなら、自警団は活動を再開できる。
しかし、リナリーは望まない結婚をし、キリロへの想いを一生胸に仕舞(しま)い込み暮らして行くことになる。

トリスタンは、それを阻止してやりたい思いと、そして、完全に住人からの信用を失い始めた町長と、(すた)れ始めたこの町の再生を願い、最早、外部の助けを借りるしか無くなった彼らは、シグリッドを頼ったのだった。

だが、ニコライとリナリーの結婚は間近に迫っている。シグリッドはどう策を立てたものかと首を(ひね)った。

「婚約パーティーが開かれるのは週末、そして結婚式は翌週末か。さーて、どうしたもんかね…」

シグリッドが、窓際で星空を眺めながら考え込んでいると、そこへ、しっかり寝間着を着て就寝準備を整えたアイリスが、どこか嬉しげに歩み寄って来た。

「ねえ、あなた」
「うん?」

シグリッドが妻に視線を向けると、彼女は胸元で祈るように両手を握り、そして、思いもしない言葉を吐き出した。

「トリスタンさんって、とても素敵な方ねー!」
「…はい?」

半眼に成らざるを得ないシグリッドが妻を見遣る。その妻はといえば、どこか興奮気味に口を開いた。

「紳士的というか、なんていうか…そう、まるで恋愛小説に出てくる騎士のような…」
「はあ…今度はどんな恋愛小説を借りたんだ、お前は」

妻の事である、また何かの小説に感化されているなと、シグリッドは(あき)れたように息を()いた。

「ほら、私、温泉で転びそうになった所を支えられたでしょう?あなたと同じように、とても逞しい腕をされていたの!きっと槍の腕前も凄いんでしょうね?」
「だから、何だよ」
「だから、素敵だって言ってるの!彼は、まさにユーリエ騎士団長そのものだわ!」
「今度は、そいつか、お前が熱入れて読んでる小説の主人公は」
「ねー、トリスタンさん年齢おいくつ?お好きな食べ物は?どんな場所によく行かれるの?」

小説の主人公にトリスタンを当て()めているのか、うっとりするアイリスが質問攻めしてくると、シグリッドは苛立(いらだ)ちを(つの)らせ(つい)に声を上げた。

「あーもう、うるせぇな!そんな事知ってどうすんだよ!俺は、仕事の事で考えてんだ、ちょっと静かにしろ」
「もう、そんなに怒らなくても…」

面白くなさそうにアイリスが言うと、小説の主人公になのか、トリスタンになのか、分からない(わず)かな嫉妬(しっと)心が行き場をなくして、シグリッドに怒声(どせい)を上げさせた。

「お前がトリスタン、トリスタン、うるせぇからだろ!」

ここで、反論せずにいられないのは妻アイリスである。

「なによ!シグリッドだって、ラウラさんの事見て鼻の下伸ばしてたくせにッ!」
「は、はあ?!別にそんなつもりは…」

無いッ!とは言い切れず、思わず口ごもってしまったシグリッドに、アイリスは図星だろうと声を上げた。

「あったでしょう?私は何でもお見通しですからね!お尻隠して頭隠さずだわ!あー!いやらしいッ!」
「それを言うなら、頭隠して尻隠さず、だろ。使いどころもどうよ」
「もう!また馬鹿にするーッ!」

肩を怒らせるアイリスが、このまま言い合っても気分が悪いだけだと、(とこ)()く為ベッドへ歩みながら言葉を継いだ。

「今日は、あなたと一緒に眠りたくないわ!別々に寝ましょう!」
「おうよ!望むところだ!」

そして、妻と同じように怒りを見せるシグリッドもベッドへ歩み寄ると、二人は同時にその上へ腰を落とした。
一人で寝るには少々広いキングサイズのベッドの上で、互いに視線をぶつけた夫婦は、一層、眉間に皺を刻んだ。

と、ここで先に声を上げたのは妻アイリスだった。

「一緒に眠りたくないって言ってるのに!」
「お前がベッドで眠るなんて、いつ決まったんだよ!」
「まあ!あなたは、私に床で寝ろって言ってるの!?」
「じゃあ、お前は俺に床で寝ろって言ってんのか!?」

問いを問いで返す二人のやり取りが続き、そしてシグリッドの最後の問いには、妻がはっきりと答え、夫をベッドから突き飛ばした。

「そうよッ!」
「ぶはあ!」

そこそこの勢いで突き飛ばされたシグリッドが床に転がると、アイリスは夫に毛布を放り投げてからベッドのシーツに(もぐ)り込んだ。

「寂しくたって傍で寝てあげませんからね!ぜーったい、寝てあげませんからね!おやすみなさい!」
「はいはい、俺だって寝てやりませんよ!おやすみ!」

こうして、互いに背を向けると、シグリッドはふてぶてしい顔のまま、床で毛布に(くる)まり夜を明かした。



―――――そして、翌日。

トリスタンと街の一角で待ち合わせていたシグリッドとアイリスは、自警団が拠点としている、町外れの古びた館へ案内された。

暫く、ひと気のない畦道(あぜみち)を行き、眼前に目的地を映したトリスタンは、シグリッド達の様子がどこか可笑(おか)しいと気付き、苦笑いを浮かべて問い掛ける。

「お前ら、何かあったのか?随分(ずいぶん)と、よそよそしいけど」

互いに顔を合わせようとしないどころか、道中一言も口を聞いていない二人。
シグリッドの一歩後ろを歩くアイリスが、トリスタンの問いに答えた。

「そんな事ありませんよね?シグリッドさん?」
「ああ、別に変わった事は何もねぇよな?アイリスさん」
「ええ、ええ!何もありませんともッ!シグリッドさんのバカちんッ!」
「いてッ!(たた)くな」

売り言葉に買い言葉、むきになったアイリスがシグリッドの腕を、べちん!と勢いよく叩く。

「やれやれ、夫婦喧嘩中かよ…」

昨日の今日でどうしたらそんな状況になるのかと、トリスタンは(あき)れたような笑みを浮かべて、館の入り口へと先導した。

「こっちだ」

シグリッドは、周囲から幾つもの(するど)い視線を感じつつ、仕事時には手放さない槍を握り締めた。

そして、殺気が近付いた次の瞬間…

「きゃッ!」
「アイリスッ!」

背後から何者かに腕を引っ張られたアイリスが小さく悲鳴を上げる。シグリッドは咄嗟(とっさ)に槍を振って突き出した。

「待てッ!シグリッドッ!」

アイリスを羽交(はが)()めにしようとする青年よりも早く、突き出された槍先は、トリスタンの制止を受けて、青年の右眼球寸前で止められた。

トリスタンが止めなかったなら…と、青年はその結末を想像し額から汗を一筋 (こぼ)した。
シグリッドの鋭い瞳が射抜くように青年を見据(みす)えると、その強い殺気に(たま)らなくなった青年は、(にぎ)ったアイリスの腕から力を緩め、両手を上げながら(うつむ)いた。

「あなたッ!」
「無事か、アイリス」

泣き出しそうな顔で駆けて来た妻が己の胸に飛び込むと、シグリッドは、その無事を確認して、ほっと安堵(あんど)の息を漏らした。

一方、トリスタンは、両手を上げたままの青年を一瞥(いちべつ)し、呆れたように息を吐く。

「まったく、誰彼構わず襲いかかるのはお前の悪い所だ、相手をよく確認しろと、いつも言ってるだろう、キリロ」

キリロと呼ばれた青年は、両手をゆっくり下げると、トリスタンに軽く頭を下げた。

「すみません、団長…武器を持った見慣れないヤツの姿があったので、つい…」
「コイツはシグリッド、この町の再生に協力してくれる、俺の友人だ」

トリスタンからその名前を聞いたキリロは、(けわ)しい表情を(くず)さないまま(つぶや)いた。

「この人が…」

シグリッドは妻を己の後ろに下げると構えを解き、ふっと笑みを浮かべた。

「アンタがキリロか、話しには聞いてる。確かに、熱くなったら手のつけられなさそうな坊やだな」

子供扱いをするなと言わんばかりに、相変わらずシグリッドに鋭い視線を向けるキリロは、トリスタンに(なだ)められ、警戒したまま彼らを自警団の館へ迎え入れた。



―――――自警団の拠点となっているこの館は、外観こそ古びたものだが、館内は小綺麗で整然としており、そこかしこに飾られた絵画や、高価そうな(つぼ)を見ては、アイリスは感心したように息を吐いた。

「ねえ、あなた、自警団さんのおられる館だから、もっと粗野(そや)な場所をイメージしていたけれど、とっても綺麗。まるで富豪の館ね」

そう(ささや)いたアイリスに、隣を歩いていたシグリッドが(まゆ)(ひそ)めて答える。

「お前なあ、粗野なんて失礼だろ。聞こえたらどうすんだ」
「そ、そうね、ごめんなさい…」

慌てて口許(くちもと)を押さえたアイリスだったが、しかとその会話を聞き届けていた、先導するトリスタンは、顔だけ振り返って答えた。

「はは、ここは元々、この街に住んでいた商人の館だったんだが、そいつが別の街に引っ越してね。取り手も居なかったようだから、当時、ろくな拠点を持っていなかった自警団が安価で引き取ったんだ。これがまた奇特(きとく)な商人でね、館自体古くなってるし、壊す手間が省けたって大層喜んで、館内の装飾品はそのままに売ってくれたんだよ。だから、富豪の館そのまま形を変えずに使ってるって訳さ」

そうトリスタンが言い終えると、「へえ」、と答えたシグリッドは、それ見た事かと、妻を半眼で見遣る。
アイリスは恥ずかしそうに肩を(すく)め、困ったような笑みを受けべた。

程なく、ある一室に招き入れられたシグリッドとアイリスは、そこで待機していた自警団員達も含め、今後の作戦について話し合った。

昨晩、幾つかの案を用意していたシグリッドは、自警団の規模を確認した所で一案に絞り、話しを続けると、それを聞いたトリスタンは、怪訝(けげん)な表情を浮かべ問いかけた。

一芝居(ひとしばい)うつ?それは、どういう意味だ、シグリッド」
「自警団の自粛を命じているのは町長だろ?だったら、その町長に自警団の必要性を説いてやるしかない」
「と、言うと?」

興味深げにトリスタンは腕を組み、シグリッドから継がれる言葉に耳を傾けた。

「婚約パーティー当日、ニコライとリナリーを誘拐(ゆうかい)する」
「ッ!」

その大胆な発言に、皆一様に驚き目を見開いた。
そんな彼らの反応は予想出来ていたのか、シグリッドは構うことなく話しを続けた。

「お前達は顔が割れてるだろうから、悪役は俺が引き受けるよ」
「そんな真似をして、お前が(いわ)れのない罪を被る事になっちまったらどうする」

この街の不出来な町長が、お(たず)ね者として世間にシグリッドを知らしめるような事態になったなら、それは彼らが暮らすリジンにも広まるのではと、トリスタンは不安げに問いかけた。
しかし、シグリッドは、どこか自信に満ちた表情で彼の問いに答えた。

「俺のやる事で誰かが救われるなら、悪役だろうが何だろうが引き受ける。俺は、その為に騎士を辞めたんだからな」
「シグリッド…」

騎士の(ほこ)りを今でも胸に携えているシグリッドの言葉は、同じように騎士団を去ったトリスタンの胸にも強く響いた。

「ただし、俺も、ただでリスクを負うつもりはねぇし、今回の依頼を受ける前に、キリロ、お前の本心を知っておきたい」

シグリッドはそう言って、トリスタンの(そば)に控えていた青年キリロに真剣な眼差しを向ける。
名指しされたキリロは、どういう意味かと眉を潜めた。

「俺の…本心?」
「そうだ。本気でニコライとリナリーの結婚を望んでいるのかどうか、それを聞いておきたい」
「…」

問われて口を(つぐ)み、(うつむ)いたキリロを見て、シグリッドは厳しい声音で続けた。

「リナリーがこの結婚を望んでいない事は、お前も解っている(はず)だろう?それでも尚、二人の結婚をこのまま黙って見ているというなら、悪いが俺は協力できない」

シグリッドがはっきりそう告げると、キリロは、悔し気な、それでいて悲痛な瞳でシグリッドを見据(みす)え、一呼吸の間を開けて静かに答えた。

「自警団で戦いに明け暮れてる俺なんかじゃ、リナリーを幸せにはしてやれない。だからといって自警団をやめるつもりもさらさらないし、この町を守る為に、これからも戦い続けたい。アイツには、平穏で安定した暮らしを、ニコライと共に送って欲しいと思ってる。リナリーには幸せになって欲しいから…」

キリロはそう言い終えると、苦しげに睫毛(まつげ)を伏せた。

その場の誰もが沈黙する中、シグリッドが険しい表情で何か言おうと口を開きかけた所で、それまで口を閉ざしていたアイリスが先に声を発した。

「リナリーさんの望む幸せが何なのかを、キリロさんはご存知なのですか?」
「え?」

問い掛けられたキリロが(まぶた)を上げると、彼女は、真っ直ぐに彼の目を見詰めて続けた。

「キリロさんの考える幸せって何ですか?お金に困らない裕福な暮らし?戦いとは無縁の平穏な暮らし?キリロさんは、そんな暮らしがリナリーさんにとっての幸せなのだと、そう思っていますか?」
「当たり前だろう、誰だって裕福で平穏な暮らしを望む筈だ!俺にはない、リナリーを幸せにしてやれるものを、ニコライは持っている!」

キリロが悔しげに声を上げるも、語気(ごき)の強くなった彼に動じることなく、アイリスは迷いのない瞳で力強く答えた。

「私は、違います」
「ッ!」

何が違うというのか、アイリスの考えている事が理解できないキリロは怪訝(けげん)な顔をすると、その先の言葉に耳を傾けた。

「人は裕福や平穏を求めるものだとは思うけれど、でも、それだけが幸せかと問われたら、私は違います。お金が無くたって、戦いに明け暮れる日々に不安を抱いたって、大好きな人が、自分を大好きでいてくれる事が、何より一番幸せだと、そう思うから…」

愛した人の(そば)にいられない、リナリーの想いが痛いほど分かるアイリスは、俯いて、胸元で(にぎ)った手に力を込めた。

シグリッドと結ばれるまで、いや、結ばれてからも、幾度の不安を抱えて来た事だろう。
だが、それは、彼女がシグリッドに愛されていたという、目に見えない絆があったからこそ乗り越えて来られたのだと、アイリスは、そっと夫を見上げた。

「だから、私はずっと待っていられたんです」
「アイリス」

柔らかな笑みを浮かべたシグリッドの瞳と、アイリスの迷いない瞳がぶつかる。
これは経験してきた己だからこそ言えるのだと、アイリスは自信に満ちた表情で、今一度キリロに目を向けた。

「リナリーさんの気持ちを、自分の気持ちを、キリロさんは、もう一度、ちゃんと知るべきだと思います」
「…」

そう言い切ったアイリスに、キリロは顔向け出来ず、また俯いてしまった。

初対面で少し言い過ぎてしまったかと、アイリスが眉を下げると、シグリッドは妻の肩にそっと触れ、口を開いた。

「俺の言いたい事は全部、妻が代弁してくれたよ。キリロ、よく考えて返事をくれ。ある程度の準備はこっちで済ませておく。行くぞ、アイリス」
「はい!」

トリスタンに軽く手を上げて、それを挨拶代わりにすると、シグリッドはアイリスを(ともな)って部屋を後にした。

そんな二人の背を見送り、ラウラは感心したように口を開いた。

「気丈な奥さんね」
「ああ、シグリッドが見初めただけの事はある」

トリスタンは妻に同意して頷くと、俯いたままのキリロの背を強く叩いてやった。

「キリロ、後は、お前の気持ち一つだ。素直になれ」
「トリスタン団長…」

キリロはアイリスの言葉を思い返しながら、己を(ふる)い立たせようと拳を固く握った。


―――― 一方、館の出入り口を目指して長い廊下を行くシグリッドとアイリス。

二、三歩先を歩く夫の背を見て、アイリスは、ばつが悪そうに眉を下げた。

先程、キリロに襲われそうになった時もそうだが、これまで、シグリッドがどれだけ身を(てい)して己を守って来てくれたことだろうかと、昨日、つまらない事で意地を張った事を後悔していたアイリスは、このままではいけないと、夫に小さく声をかけた。

「ね、あなた…」
「ん?」

その声にシグリッドは振り返ると、足を止めてしまった妻に合わせて立ち止まった。
妻はというと、視線を泳がせながら続けた。

「さっきは、その…襲われそうになった時、助けてくれて、ありがとう」

シグリッドは、突然どうしたのかと目を瞬かせると、ふっと口許(くちもと)に弧を描いて答えた。

「なんだよ、改まって」
「ちゃんとお礼を言っているだけよ。それから、昨日の事、ちゃんと謝りたい」

恥ずかしそうに頬を染めたアイリスはシグリッドを見上げると、今度は真っ直ぐに視線を合わせた。

「私も無神経な事を言ったけれど、あなただってラウラさんの事を見て、でれでれしてた。だから、それはお互い様だと思うけど、半分私が悪いから、半分、ちゃんと謝るわ。ごめんなさい…」

そう言ってアイリスは深々と頭を下げる。そんな妻の素直な謝罪を受け入れて、シグリッドも、ばつが悪そうに頭を掻きながら答えた。

「あー…俺も悪かったよ、下心がゼロだったかと言われたら、そうじゃなかったからな」
「ほら!やっぱり!」
「だから、謝るって。ごめんな」

照れ臭そうに目を()らしたシグリッドに、アイリスは小さく肩を揺らして笑うと、両手を広げて夫に向き合った。

「じゃあ…はい!」
「はいって、何だよ…その手は…」
「決まってるでしょう?仲直りの、ぎゅう」
「ば、バカ、こんな所で出来るか!ここ自警団の館だぞ」

本気で抱擁(ほうよう)を求める妻に、赤面したシグリッドが小声で拒否するも、アイリスはといえば、両手を広げたまま一歩前へと出て迫った。

「あなた、早く」

()れた男の弱味。妻の満面な笑みを見ては無碍(むげ)に断れなくなってしまったシグリッドは、周りを警戒するように一度見回してから、アイリスに体を寄せた。

「は、はいはい、ぎゅう…な」

そして、妻の背に腕を回して、とんとん、と、二、三回軽く叩くと、シグリッドは()(さま)離れた。
これに満足いく筈のない妻が不満げに声を上げる。

「もーう!気持ちが込もってないわー!」
「だから、誰かが見てるかもしれない場所で、本気で抱けるかよ」

苦笑するしかないシグリッドに、アイリスはしがみつくように夫の胸元に抱き着いた。

「愛があればどこだろうと関係ありません!」
「何言ってんだ、無茶言うな!」
「じゃあ、キスならできる?」
「いや、それはもっと出来ない」
「まあ!あなたったら、折角仲直りできたのに拒んでばっかり!」
「わ、分かった!アイリス、お前が納得いくように言ってやる」

このままでは(らち)があかないと、シグリッドは妻の両肩を(つか)んで目線を会わせるよう身を(かが)めた。
そして、無駄に(りん)とした顔を作ると、妻が納得しそうな言葉を(ささや)いた。

「キスやハグだけで俺が満足するとでも?ここを出て早く宿へ帰ろう、アイリス。お前の温もりを肌で感じたい、ここまで言えば分かるだろ?」

真っ直ぐに見詰められ、そう甘い言葉を囁かれたアイリスは(たちま)ち顔を上気(じょうき)させ、歓喜(かんき)にも悲鳴にも似た声を上げた。

「な、な、なんてことかしら!あなたが真剣な顔でそんな事言うなんて!反則だわー!レッドカードだわー!でも、ええ、そうね、こんなところで私達の愛は語りつくせやしないものね!分かりました。あなたがそこまで言うなら、宿に帰って、私、一肌脱ぎます!さあ、行きましょう?」
「よし…上手く切り抜けられたようだ」

興奮冷めやらぬ妻を尻目に、ふう、と、人知れず息を吐いたシグリッドだったが、ここで、思いもよらない人物に声を掛けられる。

「何やってんだか、このバカ夫婦は」

そう言って腕を組んだのは、(あき)れた様子のトリスタンだった。
気配を察知できなかったシグリッドは、今日一番、驚愕(きょうがく)した様で顔を引き()らせた。

「うおぉおッ!?トリスタン!いつからそこにいたッ!」

妻との恥ずかしいやり取りをどこから見られていたのか、赤面したシグリッドが問い掛けると、トリスタンは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべて答えた。

「仲直りの、ぎゅう、くらいから」
「最悪だ…(ほとん)ど見られてるじゃねぇか」

(いま)だに感情を(たかぶ)らせている妻アイリスの隣で、シグリッドは、どんよりした影を背負い、盛大に肩を落とした。
そんな彼らを、どこか(うらや)ましそうに見詰めていたのは、トリスタンと共に来ていたラウラだった。

「お二人は本当に仲が宜しいのね。あんな甘い囁きなんて、トリスタンからして貰った事は一度もないわ」
「いや、勘弁してくれ…、俺にあんな恥ずかしい真似はできん」
「あら、女はいつだって甘く囁かれたいものよ?」

()ねたようにラウラが言うと、そこで口添(くちぞ)えたのは、聞き捨てならないと表情を(あら)わにしたアイリスだった。

「そうです、トリスタンさん!女性を喜ばせるのも殿方(とのがた)(つと)めですわ」
「そうよ、貴方の務めよ」

何故かタッグを組んで責め立て始めた妻達に、シグリッドとトリスタンは(かわ)いた笑みを浮かべる。
このままでは妻から何を言われるか分ったものではないと、軽い咳払(せきばら)いをして気を取り直したトリスタンは、先程とは打って変わってシグリッドに険しい表情を向けた。

「それより、シグリッド。本当に良いのか?誘拐犯なんて役回りを任せて…」

これには、やはり自信のある笑みを浮かべたシグリッドは、トリスタンを安心させるように答えた。

「何度も言わせるな。俺はやりたいようにやらせてもらう。だから、お前が気に病む必要はねぇよ。ただ、やるからには徹底的にやるぜ」
「徹底的にというと?」
「俺一人じゃ迫力に欠けるからな、山賊対自警団を想定している」
「山賊対自警団ッ!?お前、何をするつもりだ」

騎士団にいた頃からシグリッドの機転は己の想像を上回っていた。そんな事を思い返しながら、トリスタンが苦笑いを浮かべて問い掛けると、シグリッドはどこか楽しげに言って見せた。

「山賊役を買ってくれる人の所へ行ってくる」
「おいおい、まさか…」
「そのまさかだ。それなりに戦える役者を(そろ)えておくから、トリスタン、お前も本気で来い。久々に、お前と武器を交える事が出来そうで、そこは楽しみにしてるよ」
「成る程、そういう事なら手加減なんてしてる余裕はなさそうだ」

シグリッドの言う事に、何か思い当たる節でもあるのか、トリスタンもその顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。



――――その後。

自警団の館を出たシグリッドとアイリスは、宿へ戻る前に一つ仕事を片付けようと、馬を走らせ、ブリッツフリッツの町を後にした。

向かった先は、南の国境近くに(そび)える山岳。

馬で行ける場所まで登り切れば、シグリッドとアイリスは、突如(とつじょ)、白い仮面を着けた山賊一味に囲まれた。

(おび)えていたのは妻のアイリスだけで、こうなる事を予測していたシグリッドは(ひる)む事なく、とある人物への目通りを願った。
シグリッドの申し出に警戒する山賊達は、条件として、武器と女の身柄を預けよと提示。
シグリッドは怖がるアイリスを(なだ)めて、彼らの言うとおりに預けると、目的の場所まで案内された。

一方のアイリスはというと、夫と離れ離れになり、山賊がアジトとしている(とりで)の一室で心細い思いをしていた。

「うう…物凄く見られてる…」

殺風景(さっぷうけい)な部屋の中央に、ぽつんと置かれた椅子(いす)
そこへ腰かけたアイリスは、粗野(そや)で横暴そうな男達に(するど)(まなこ)で監視され、肩を(すく)めたまま、ひたすら夫の帰りを待った。

そして、そこから三十分足らず、(ようや)くシグリッドが、妻のいる部屋へと戻って来た。

「アイリス、待たせたな」
「あ、あなたーッ!」

安心したのか思わず声を上げたアイリスは、泣き出しそうな顔で夫に駆け寄った。

(ひど)いわ!こんな所に私を一人放っていくなんてー!」
「仕方ないだろ?こいつらの信用を得る為に、条件を飲むしかなかったんだから」
「うう…どこを向いても、むきむきの、ごんぶと男子なのよ!怖い目でじっと見詰められて、気が気でなかったんだからー!」
「何かされたのか?」

シグリッドが(いぶか)し気な顔で問いかけると、アイリスは一呼吸の間を開けて首を振った。

「…いいえ」

シグリッドは、妻の身が安全である自信でもあったのか、当たり前のように答えた。

「ここを仕切ってるのは信用に足る人物だ。だから俺も安心してお前を預けたんだよ。そうでなけりゃ、ここにお前を放っては行かないさ」

優しい夫の微笑みを見て、余計に安心感を得たアイリスは、シグリッドの胸に頬を寄せて抱き着いた。

「あなた、怖かった…」
「こらこら、そんなに引っ付くなって」

照れ臭そうに(ほお)()いたシグリッドが妻の肩を抱くと、周りの山賊達が半ば(うらや)ましそうにその姿を眺める。
そこへ、仮面を頭部にずらした体格のよい男が姿を現した。

「おーおー、見せ付けてくれちゃって、羨ましいねぇ」

その人物が現れた途端、周囲の山賊達が一度に頭を下げる様子を見たアイリスは、不安げにシグリッドを見上げ問いかけた。

「あの…どちら様?」
「この山賊一味を取り仕切る、お(かしら)さ。エレック・ディエゴ。ノアトーン第一剣騎士団の元団長だ」
「えッ!?元騎士団の団長様が、山賊のお頭をしていらっしゃるの?!」

驚いたアイリスを一瞥(いちべつ)し、エレックは豪快(ごうかい)な笑い声を上げた。

「ガハハッ!騎士団団長なんて肩書き、もう十年も前の話しだがなッ!その頃は、シグリッドもトリスタンも、ケツの青いガキだったのに、誰かを誘拐しようなんて、随分と思いきりの良い男に成長したモンだ」

先程の時間に、シグリッドが事の経緯を説明したようで、エレックは今回のブリッツフリッツの件については、(すで)に了承している様子だった。

シグリッドはというと、どこか楽しげな様子で言葉を継いだ。

「この近くで頼れるといったら、エレックさんしか思い浮かばなかったんです。まさか、こんな話しを快く引受きけて下さるとも思っていませんでしたけどね」
「俺も、一団の命預かってる身だ、理由によっちゃあ引き受けなかったが、お前の想いに心打たれた感激屋どもが、やる気を(みなぎ)らせてっからよお、仕方ねぇわな。ガハハハ!」

そう豪快に笑って答えたエレックが、後ろに控えていた側近らしき男三人に顔を向ける。

よく似た顔の三つ子の青年達は、スキンヘッドまでお揃いで、筋肉隆々、体格の良さはエレックに負けず(おと)らずだった。更に、その口調から察するに、とにかく性格も熱そうである。

「馬鹿息子の為に、人命すら問わん無責任町長の根性を叩き直そうなんてよう!お頭ッ!久々に熱い仕事が舞い込んで来やしたぜ!」
「俺ら『山の義賊(ぎぞく)アテン』が、まさに太陽のごとく!」
「熱い想いに(こた)える時ッス!」

『山の義賊アテン』、太陽神の名を借りたそれが、エレック率いる一団の名だった。

声の大きさも似たようなもので、息ぴったりの三人が雄叫(おたけび)びを上げるように言うと、エレックは、にんまりした笑みを浮かべてシグリッドに顔を向ける。

「ほらな?」

興奮して、何やら気合の入った声を上げている三つ子を目の当たりに、内心、暑苦しいと苦笑いを浮かべるシグリッドが答えた。

「はは、頼もしいですよ。エレックさんが率いる一団だから、当たり前といえば当たり前ですね。俺が騎士団に入団した当初から、エレックさんの事は、熱い人だなと思ってましたから」
「オメーもな、シグリッド。真っ直ぐで馬鹿正直で、騎士である事にいつも情熱的で、生意気なクソガキのオメーが、入団して来た当初から俺は気に入ってたよ」

シグリッドとエレックが、良き時代のノアトーン騎士団を思いながら(なつ)かしそうに目を細める姿を見て、アイリスもどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。



――――そして、いよいよやってきた週末。

雲一つない快晴の日。ブリッツフリッツ町長の館は、多くの人で(にぎ)わっていた。

美しく剪定(せんてい)された草木や花に囲まれる庭では、立食形式のパーティー会場が準備されており、ニコライとリナリーの婚約を祝おうと、町長とは馴染み深い貴族や商人達の姿が見られた。

「皆さん、ようこそ、お越し下さいました!本日は、我が愛息子ニコライの為にお集まり頂き、誠にありがとうございます!ささやかではございますが、我が家自慢のシェフが腕を(ふる)いました料理と共に、(しば)し歓談を楽しんで頂けたら幸いでございます」

(たくわ)えた贅肉(ぜいにく)で、今にもタキシードの(ぼたん)(はじ)けそうなこの男こそ、息子さえいれば良いという、まるで無責任が独り歩きしているようなブリッツフリッツ町長である。

(そば)に控えた若い二人を一瞥(いちべつ)すると、息子が妻に(めと)ろうとしているリナリーの紹介もそこそこに、町長はここから延々と我が子の自慢話しを始めた。

「ニコライは、ご覧の通り、容姿端麗で頭も切れる。幼い頃から父親想いで、それはもう目の中に入れても痛くない程、可愛い子でして。妻に先立たれ、男手一つで育てて来た、その息子がとうとう妻を娶ると言った時は、でかしたぞと、その成長を喜ばしく思ったものですが、同時にどこか寂しさも感じましたな」

そんな話しを一方的に聞かされている会場の人々は、皆、その顔に笑みを浮かべてはいるが、腹の中ではどう思っているか知れないと、庭の茂みに身を潜めていたシグリッドは、半眼で町長を見遣(みや)った。

「何が婚約パーティーだよ、息子のお披露目(ひろめ)パーティーの間違いじゃねぇのか?」
「本当、(ひど)い親馬鹿ね」

そう小声で付け加えたのは、夫の肩越しに様子を(うかが)っていたアイリスだった。

顔を隠すための仮面を頭に携え、山賊らしい身なりに扮した二人は、エレックの合図を待って身を隠していた所。シグリッドは、(まゆ)を潜めて妻に顔だけ振り返った。

「ていうか、アイリス。お前まで来る必要はなかったし、山賊に扮する必要もなかったんだぞ」
「あら、私はあなたの妻として、お仕事に参戦する義務があるわ!」
「参戦する義務って…。ふりとはいえ、自警団と戦闘になるんだぞ?お前だって怖い思いはしたくねぇだろ?」
「そんな事は分かってる。だからと言って、一人であなたの帰りを待っているなんて嫌よ。私、キリロさんの答えの形を、ちゃんとこの目で見届けたいもの」

そう強く言い切った妻に、やれやれと笑みを浮かべたシグリッドは、これ以上言った所で妻の事である、聞きはしないだろうと腹を(くく)った。

「そうかい?そこまで言うなら止めはしないが、くれぐれも勝手な行動は(つつし)めよ?」
「はい!」

そして、町長が涙ながらに息子の成長を語る最中、部下達が配置に着いたのを確認したエレックが茂みの向こうから指笛を鳴らすと、それを合図に、シグリッド(ふく)山賊(さんぞく)、もとい、山の義賊(ぎぞく)達は、皆、一様(いちよう)に白い仮面で顔を隠し、一斉に飛び出した。

「きゃあ!」
「何者だ、お前達はッ!」

そう悲鳴を上げる客達を、あっという間に包囲した義賊(ぎぞく)達は、武器を片手に山賊らしい素振りを見せて人々を(おび)えさせた。

一方、一目散(いちもくさん)にニコライとリナリーの元へ向かった三つ子は、二人の身柄を早々に確保する。

「いや!離してッ!」
「や、やめろッ!」

羽交(はが)()めされ、首元にナイフの切っ先を向けられた二人が恐怖で悲鳴を上げると、三つ子達は、半ば悪役を演じる事に快感でも覚えているのか、役者よろしく芝居を続けた。

「おうおう、随分といい服着てんな、兄ちゃん」
「おうよ、随分と美味そうな飯食ってんな、兄ちゃん」
「おうよ、随分といい匂いのする姉ちゃんを(はべ)らせてんな、兄ちゃん」

そして、三つ子に続いて山賊に成り切ったアイリスも、到底迫力のない声音で叫ぶ。

「そうよ、随分といいご身分でいらっしゃいますわね、兄ちゃん!」
「お前ら、芝居が下手くそ過ぎだろ…」

と、最後にシグリッドが人知れず(つぶや)いた言葉は、会場の客から上がる悲鳴にかき消された。
先程まで自慢話しにご満悦(まんえつ)だった町長としては青天の霹靂(へきれき)
息子のニコライを取り戻そうと手を伸ばした町長は、肩に(おの)(かつ)いだエレックに思い切りよく蹴り飛ばされ、地面に()んどりうって転がると、涙目で悲鳴を上げた。

「な、な、な、何者だぁあッ!この野蛮人(やばんじん)どもめぇえッ!」

町長のその言い(ぐさ)に、仮面の奥で不敵な笑みを浮かべたエレックが声を上げる。

「野蛮人どもだと?はッ!その野蛮人どもが、こんな簡単に侵入できちまう町だ。大した町じゃあねぇなあ、ガハハハッ!」

エレックが楽しそうに笑う(かたわ)ら、三つ子の一人がリナリーの体に(なわ)を巻き付けている隣で、どうにかこの場を逃げ出そうと身動(みじろ)いだニコライは、シグリッドが突き出して来た槍先に情けなく悲鳴を上げた。

「ひぃいいいッ!」
「おっと、まさか、婚約者はそっちのけで自分だけ逃げようってのか?男の風上にも置けねぇな。じっとしてれば危害は加えない。大人しくしてな」
「うぐ…ううう…父上ぇえ…」

涙を浮かべて父親に助けを求めるニコライを一瞥(いちべつ)し、シグリッドは(あき)れたように溜息を吐くと、ここで集った客達へ聞こえるように叫んだ。

「それにしても、客人らは災難だったな!(まも)り手も用意していない、こんな街の町長と関わっちまったばかりに」

それを聞いた客人達は、地面で腰を抜かしている町長に視線を向け、口々に非難(ひなん)の声を上げた。

「なんだと!町長!どうなっているんだッ!」
傭兵(ようへい)自警団(じけいだん)はどうしたッ!」
「我々を招いておいて、身の安全の保証もしないつもりだったのかねッ!?」

そんな言葉で責め立てられる町長が青い顔をする様を見て、エレックは、良い気味だと笑い飛ばした。

「ぶはははッ!ざまあねぇな、町長さんよお!青ざめてるとこ悪いが、もう一つついでに青ざめて貰おうか!アンタの可愛い息子と、別嬪(べっぴん)の婚約者は俺達が預かるッ!返して欲しくば、一人二千万クリソス用意して、今日の夕刻、ここから南の草原へ来い!来なけりゃ、可愛い息子の頭と胴体(どうたい)がおさらばするぜ?」
「ま、待てッ!息子には手を出さないでくれぇ!」

三つ子の二人がニコライとリナリーをそれぞれ肩に(かつ)ぎ上げるも、町長の瞳にはやはり息子の姿しか映っておらず、懇願(こんがん)してエレックに(すが)りついた彼は、またも足蹴(あしげ)にされて地面に転がった。

「やれやれ、こんな状況でも、おめぇさんの目は息子しか映さねぇのかよ。(あき)れた町長様だぜ、まったく。おい、行くぞ、野郎ども!」

そう言って(きびす)を返したエレックに続き、シグリッド含む義賊(ぎぞく)達は、一斉にその場から動き出した。

きつく縛られた(なわ)に体の自由を奪われたリナリーは、どうにかして、この事を自警団に知らせなければと、抱えられた三つ子の一人に足をばたつかせて抵抗を試みた。

「いやッ!離して下さいッ!」
「おい、姉ちゃん大人しくしてな!落っこちるぜ!」
「ケダモノッ!人でなしッ!」

暴れるリナリーを大人しくさせようと男が(なだ)めるも聞く耳持たず。
こんな状況では不安で当然の事だと、芝居とはいえ心が痛んだアイリスは、リナリーの元へと駆け寄り声を落として耳打ちした。

「リナリーさん」
「ッ!?」

その声音から、この仮面の人物は女性なのだと目を見開いたリナリーは動きを止めた。アイリスは彼女を落ち着かせるように、至って穏やかな口調で続ける。

「私達は、貴女に(ひど)いことをするつもりはありません」
「え…?」

仮面の奥に見える柔らかな瞳を見て、リナリーは彼女が山賊ではないと直感的に思うと、継がれる言葉に耳を傾けた。

「キリロさんの答えを…どうか信じて差し上げて?」
「ッ!」

この人は己の最愛の人を知っている。
何がどうなっているのか現状を理解する事はできないが、キリロが必ず来てくれると確信にも似た思いを抱けば、リナリーは安堵(あんど)し、(こら)えていた涙を溢した。

一方、招かれた客人達が、皆、怒り狂い帰ってしまった後、町長は失意の中、それでも息子の危機だけはどうにかしようと自警団の館を訪れていた。

「おいッ!トリスタンッ!トリスタンはいるかッ!」

当然、こうなる事は分かっていた自警団の面々。
団員達の制止を振り切って、図々(ずうずう)しくも館に踏み込んで来た町長に、トリスタンは面倒そうな顔で姿を現した。

騒々(そうぞう)しい、何の用ですか、町長さん」
「息子がッ!私の可愛いニコライが、野蛮(やばん)な賊どもに(さら)われたのだッ!」

それを聞いたトリスタンは、(あき)れたように息を吐き、頭を()いた。

「…それで?」
「それで?だとッ!?貴様ッ!この緊急事態に何を落ち着いているッ!賊は南へ向かったッ!今すぐ息子の救出へ向かえッ!」
「何を言い出すかと思えば…。町長さん、俺達自警団に自粛を求めたのはアンタだ。それを今更、可愛い息子が拐われたから助けに向かえって?どれだけムシのいい話をするんです?」

低い声音で言ったトリスタンの後ろから、妻のラウラも夫に同意して(うなず)いた。

「そうですね、町に起こる事件や、外周に現れる魔物の姿は見て見ぬふりをするのに、自分の息子が危険に(さら)されて、(ようや)く警護の大切さを理解なさったの?」
「ラウラ、貴様ッ!それが自警団に出資してきた相手に対する物言いかッ!」

町長がラウラを(にら)み付けて怒声(どせい)を上げると、トリスタンは妻を(かば)うように()()無く前へ出て告げた。

「妻に当たるのはよして貰おうか。とにかく、俺達はアンタに言われた通り活動を自粛する。お引き取り下さい」

トリスタンとラウラが(きびす)を返し背を向けた瞬間、いよいよ(あせ)りの色を濃くした町長は、ここで初めて頭を下げた。

「わ、分かったッ!私が悪かったッ!自警団の自粛、解散の話しは無かった事にするッ!」
「だから、今更なんですよ。後悔したってもう遅い」
「頼むッ!トリスタン!ニコライは私にとって唯一無二の宝なのだッ!助けてくれッ!どうか!この通りッ!頼むッ!」

土下座をして(ひたい)を床に着けた町長の滑稽(こっけい)な姿を一瞥(いちべつ)し、トリスタンとラウラは、互いに顔を見合わせて笑みを浮かべた。

一方、ブリッツフリッツの街を出て、南の草原を馬でゆっくりと移動していた山の義賊達。

馬の背に、くの字に乗せられたニコライは、顔を上げて、忌々(いまいま)しげに口を開いた。

「こんな事をして、ただで済むと思うなよ!野蛮人ども!痛ッ!」
「ぴーぴーうるせぇな。ちっと騒ぎすぎだぜ、兄ちゃん、黙ってろい」

ぱん、と小気味(こきみ)良い音をたてて、三つ子の一人に頭を(たた)かれたニコライが(うめ)く。
これから自分はどうなってしまうのだろうかと(おび)えたままのニコライが、(そば)闊歩(かっぽ)する馬に、同じように乗せられたリナリーへ向けて、甘えた声を上げた。

「リナリー、どうしよう、僕らどうなっちゃうのかな」
「ニコライ、狼狽(うろた)え過ぎよ」
「だって、こんな事ってないよ!僕はこんな所で死にたくない!」

まるで子供のように、べそをかくニコライとは逆に、リナリーは気丈な態度で口を開いた。

「私は、信じてるわ」
「え?」
「きっと…きっと来てくれる。キリロが、きっと助けに来てくれる」
「…」

キリロの名を彼女の口から聞いたニコライは、嫉妬(しっと)から苛立(いらだ)ち、悔しげに(くちびる)()み締めた。



――――そして、陽が傾きかけた頃、シグリッドは来た方向を振り返り目を細めた。

「そろそろか…」

先に馬を降りたシグリッドが、一緒に乗っていたアイリスに手を伸ばし降ろしてやると、彼は妻にこう告げた。

「アイリス、芝居とはいえ、ここは危険だ。お前は、リナリーさんの(そば)にいろ」

これから起きる事を理解していたアイリスは、不安げな顔で夫を見上げる。

「あなた、怪我(けが)をしないように気を付けて?トリスタンさんと、武器を交えるつもりなんでしょう?」
「ああ、心配するな、俺も、アイツもヘマはしない」

ふっと笑ったシグリッドが、妻を先へ行かせるように背を押してやったところで、エレックが、遠くに見えて来た一団の影に気付き声を上げた。

「お!来た、来た!トリスタン団長様率いる自警団のおでましだぜ、シグリッド」

馬を走らせて来るトリスタン達の中に、町長の姿も見えると、ニコライを乗せていた三つ子の一人が楽しげに笑った。

「あはははは!良かったな、兄ちゃん!オメーの親父も一緒だ!俺は、てっきり見捨てて来ねぇかと思ってたぜ」
「うわぁあああん!父上ぇええッ!」

幼い子供のように声を上げるニコライを、(あき)れたように見遣(みや)る一同。
そんな彼を余所(よそ)に、エレックは馬の腹を軽く()って反転させると、腰の剣を引抜き空へ(かか)げた。

「よっしゃ!ひと暴れすんぜ!アテンの猛者(もさ)どもッ!」
「おおおおーッ!」

勇敢な山の義賊(ぎぞく)アテンの戦士達は雄叫(おたけ)びを上げると、エレックに続いて馬を反転させる。

一方、こちらへ向けて一斉に賊が駆け出す姿を、その目に(とら)えたトリスタンは、馬を並走させていたキリロに声をかけた。

「キリロ、お前は真っ先に、ニコライとリナリーの元へ行け」
「団長…」
「もう、迷うなよ?」

そう言ったトリスタンの優しさに背中を押され、己の本心と向き合ったキリロは、意を決して手綱(たづな)を強く(にぎ)り、リナリー達のいる方向を見据(みす)えて答えた。

「はいッ!もう二度と、迷いませんッ!」

先に駆けて行ったキリロの背を見送ると、追いついて来た妻ラウラに、トリスタンが告げる。

「ラウラ、シグリッドの嫁さんを頼んだ」
「ええ、任せておいて」

彼女が(うなず)き、キリロの後を追うようにして馬を走らせると、トリスタンは、混戦する義賊と自警団の中に、白い仮面を着けたシグリッドの姿を見つけて口の端を持ち上げた。

こちらに気付いたシグリッドが槍を手に、ゆっくりと体を向ける様を見て、トリスタンは手綱を引き、馬を止める。
そんな彼の後ろから追いついて来た町長も同じように馬を止めると、突然、地に降りてしまったトリスタンを見て怒声(どせい)を上げた。

「何をしている、トリスタンッ!早くニコライの救出へ向かわんかッ!」

町長には目もくれず、トリスタンは目の前に立つ好敵手(こうてきしゅ)だけを見据(みす)えた。

「町長さんは、下がっておいた方が良いぜ。そこにいる野郎は、一筋縄ではいかなそうだ」
「な…何を…」

(やり)を身構えたトリスタンの横顔には笑みがあったが、そこには同時に緊張も見えた。
それを見て、目の前の男が危険であると分かった町長は、大人しく後ろへと下がり、トリスタンの様子を見守る。

一方のシグリッドも、槍を握り締め、程好(ほどよ)い緊張の中、仮面の奥で不敵(ふてき)な笑みを浮かべた。

「さーて、自警団団長様のお手並み拝見(はいけん)

そう一人 (つぶや)いて、シグリッドは地を()ると、あっという間にトリスタンとの間合いを詰めた。

元槍騎士同士が武器を交える中、一方、ニコライとリナリーの元へ向かったキリロと、ラウラは…

「リナリーッ!ニコライッ!」

その目に二人の姿を認めたキリロは声を上げると同時、猛進(もうしん)する馬から飛び降り、腰の剣を引き抜いた。
同じように後に続くラウラも馬を飛び降りると、三つ子達が、またも下手な芝居をしながら彼らの前に立ちはだかる。

「ここは、我ら三兄弟が!」
何人(なんぴと)たりとも!」
「通さんッ!」

示し合わせたかのように三つ子が言うと、その(そば)にいたアイリスも、持ったナイフをかたかたと震わせながら声を上げた。

「わ、私の事もッ!お忘れなくーッ!」

アイリスの姿を見て、小さく()き出したラウラは、素早く腰から剣を引き抜くと、ニコライに聞こえるよう、わざと声を上げてキリロの背を押した。

「女の賊は私が引き受ける!キリロ、行きなさい!」
「はいッ!」

リナリーとニコライを背に立ちはだかる三つ子の相手をキリロがしている(かたわ)らで、アイリスはラウラと向き合い、慣れないナイフを両手で前に突き出した。

「ま、参ります!」

そして、アイリスが駆け出そうとした次の瞬間、ラウラは軽い身のこなしでアイリスのナイフを叩き落とすと、流れるような動きのまま彼女を地面に押し倒した。

「きゃあ!」
「ごめんなさい、ニコライの手前、それなりに見せた方が良いから」

耳元で小さく言われたアイリスは、その動きから、ラウラが己のような素人(しろうと)ではないと直感的に理解し目を見開いた。

「ラ、ラウラさん…あなた…」
「ふふ、許して頂戴(ちょうだい)ね、アイリスさん」

アイリスを組み敷いたラウラが微笑むと、次に(わざ)とらしく倒れたのは、キリロと剣を交えていた三つ子だった。

「や、やられたー…」
「無ー念ー」
「ぐふ…ッ」

シグリッドがここに居たなら、何かしらの突っ込みが入っていただろう三文(さんもん)芝居(しばい)だが、(いま)だ戸惑う現状の中では恐怖の方が(まさ)っており、全く(あや)しむ素振りなどないニコライとリナリー。
三つ子が折り重なるように倒れた姿を一瞥(いちべつ)し、キリロはリナリーの元へ駆け寄ると、彼女の身を拘束(こうそく)していた(なわ)を解き、自由にしてやった。

「キリロッ!」
「リナリー!」

リナリーはキリロの顔を見て愁眉(しゅうび)を開くと、感極まって彼に強く抱き着いた。

「ああ…キリロ…」
「リナリー、怪我はないか?無事なんだな?」
「ええ、平気よ」

キリロもリナリーの体を強く抱き締めてやると、そんな二人の姿を悔しげに見ていたニコライが怒声(どせい)を上げた。

「おい!キリロ!僕の縄も早く解け!」

キリロは、リナリーからゆっくりと離れニコライの元へ歩むと、彼の縄も解き自由にしてやった。
そして、キリロは、ふてぶてしい顔をしたニコライに真っ直ぐ向き合い、真剣な瞳で彼を見詰めた。

「ニコライ…」
「な、なんだよ」

何を言い出されるのか、薄々感づいていたニコライが小さく問い返す。
キリロはリナリーの手を(にぎ)って迷いなく続けた。

「俺は、学もないし金もない、戦う事でしか己の存在価値を(みい)()せない。そんな男が、リナリーを幸せになんてできる(はず)はないと、そう思っていた。だから、お前にコイツを託すつもりでいたんだ…。でも、それは間違っていたと気付かされた」

キリロは、リナリーと繋いだ手に(わず)か力を()めると、強い瞳でニコライを見据(みす)えた。

「リナリーを想う気持ちは誰よりも大きい自信がある。それを今まで押し殺して来たが、ここではっきり言わせて貰うよ。俺は、リナリーが好きだ、誰よりも。だからニコライ、お前とリナリーの婚約を祝福する事は出来ない」
「キリロッ!貴様ッ!何を今更ッ!」

これまでリナリーを遠ざけて来た筈のキリロが、こうもはっきり彼女への想いを口にしたのは初めてだった。
二人が相思相愛である事を知っていたニコライは、その急接近に焦燥(しょうそう)(のぞ)かせ、キリロの胸ぐらを(つか)んで(にら)みつけたが、そこで、彼らを止めようとリナリーが声を上げた。

「私も、キリロの事が誰よりも好き!お金なんていらないし、裕福な暮らしも求めていない!貴方が戦いの中にいたい事も分かってる!それでも私は、貴方の傍にいたいと思うの。それが、私の幸せ…」
「リナリー…」

キリロは彼女の口から出た言葉を聞き、やはり、己がリナリーの想いを(ないがし)ろにしていたのだと後悔した。

「遅くなって、ごめん…」
「待ってた…ずっと、待ってたのよ、キリロ」

キリロとリナリーは互いに強く抱き締め会う。
二人の思いの丈をその目に焼き付けてしまったニコライは喪失感(そうしつかん)(ぬぐ)えず、その場に力なく(くず)れ落ちた。

程近くで、キリロとリナリーの想いが(つい)に結び付いたのを見届けたアイリスとラウラは、互いに顔を見合わせ笑みを浮かべた。

一方、義賊と自警団が本気で戦うふりをしている中、元騎士の二人だけは、本気で武器を交えていた。

「くッ!」

トリスタンの息が小さく()れる。
シグリッドが絶妙(ぜつみょう)な間合いで攻撃を繰り出して来るも、トリスタンはそれを寸での所で(かわ)し続けていた。
互いに譲らずの攻防。弧を描いて振り抜かれる(やり)は、まるで舞っているような軌道(きどう)を描く。シグリッドは、この状況を心底楽しげに笑った。

「はは!流石(さすが)、自警団団長様だ、腕を上げてるな!トリスタン!」
「そういうお前も、パン屋なんぞやってる割りに、腕の方は落ちちゃいない!いや、(むし)ろ…」

上げている、と、そう素直に己の(おと)りを認められる程、トリスタンはシグリッドの中に更なる成長を見付けていた。

そんな二人の激戦を前に、すっかり(おび)えて頭を抱えてしまった町長を、その目に(とら)えたエレックは、呆れたように溜息を吐き、次いで、シグリッド達に視線を移した。
かつてのノアトーン騎士団でも、こうやって互いに研鑽(けんさん)しあう若者達を見守っていたものだと、(なつ)かしそうに目を細める。

「アイツら、いきいきした顔しやがって」

そう(つぶや)いたエレックが、頃合いだと指笛を鳴らせば、その合図で義賊達は一斉に引き上げ始める。

武器を引いたシグリッドが一歩、二歩と、どこか名残惜(なごりお)しそうに後ずさると、トリスタンは口許(くちもと)に弧を描いて構えを解いた。

逃げるように帰っていく義賊達に気付いた町長は顔を上げると、先程までのしおらしさはどこへやら、まるで己が退(しりぞ)けたかのような口調で声を上げた。

「大したことのない山賊どもだッ!二度と私の街に踏み込むでないぞッ!」

町長が義賊達に向かって悪態を吐いていると、そこで、ラウラに連れられて戻って来た息子のニコライが、泣きながら父親に抱き着いた。

「うわああああ!父上ーッ!」
「おお!私の可愛い坊や!」

ひし、と抱き合う親子を尻目に、溜息しか出ないトリスタンは、リナリーの手をしっかりと(にぎ)って戻って来たキリロの姿を見て、ふっと微笑んだ。

 
―――――その後。

キリロとリナリーは、互いの想いを再確認し、結婚を前提にして付き合い始めた。
ニコライはといえば、二人の想いに完敗し、(いさぎよ)く身を引いたが、父である町長は、愛息子を悲しめたと、キリロとリナリーに怒りを向けた。
しかし、ニコライが口添えした事もあって話しは丸く収まり、今回の山賊襲撃の一件に()りた事もあってか、町長は、その後、自警団の自粛や解散などという言葉は口にしなくなったという。

そして、一悶着(ひともんちゃく)あった婚約パーティー翌日。

トリスタンは、妻のラウラを(ともな)い、ブリッツフリッツの街から離れ、協力者達を見送りに、南の草原に来ていた。

「これで、ブリッツフリッツも良い方向へ向かってくれると思う。再生は叶ったよ。ありがとう、シグリッド、アイリスさん、そして、エレックさん」

シグリッドは、首を左右に振ると、右手に持った(やり)を少し持ち上げて答えた。

「礼には及ばねえよ、トリスタン。お前との手合わせ、久々に楽しめたしな」
「ガハハッ!俺も、お前らと久々に暴れる事が出来て楽しかったぜ!」

エレックもそう言って豪快(ごうかい)に笑い飛ばすと、ここで、ラウラを見詰めていたアイリスが控え目に口を開いた。

「あの、ラウラさんも戦えるなんて、知りませんでした!身のこなしや剣の扱いが、とても慣れていらしたから驚いて…」

その事を妻から聞いていたシグリッドも、意外だといった表情で問い掛ける。

「ああ、そうらしいな。ラウラさんは、武芸(ぶげい)(たしな)んでいたのかい?」

すると、トリスタンが困ったような笑みを浮かべて答えた。

「あれ?言ってなかったか?」
「ん?言ってなかったって、何をだ?」

シグリッドは怪訝(けげん)な顔で、継がれるトリスタンの話しに耳を傾けた。

「この町に自警団が出来た頃、俺は、ここにはいなかった」
「ああ、騎士団にいたんだから当たり前か。ん?」

トリスタンがこの町に来たのは二年前の事。
一年の月日をラウラと過ごして結ばれたのだが、それよりも前から自警団は存在していた。
では、トリスタンの前に団を率いていたのは誰だったのか…シグリッドは(あご)に手を添えて少し考えると、はっと何かに気付き、顔を引き()らせた。

「いや…ま、まさか…」

トリスタンは腕を組むと、ラウラに視線を落として答えた。

「お察しの通りだ、シグリッド。元々自警団を立ち上げたのは、このラウラさ」
「なにぃいッ!?」
「まあ!そうだったんですの!?」

シグリッドとアイリスが、順に声を大にして驚くと、その傍で感心したように、エレックが顎を()でながらラウラに目を向けた。

「ほう、この色気のあるお姉ちゃんが自警団団長様だったとはねぇ」

にっこりと微笑むラウラの隣で、トリスタンは照れ臭そうに顔を()らしてこう続けた。

「ひょんな事から手合わせをする機会があってね。その時に、俺がラウラを負かしたのが切っ掛けで付き合う事になった。そこから結婚して、俺が団長を継いだって訳」
「成る程…そういう事だったのか」

シグリッドが二人の()()めを聞いて納得していると、今の話しに興奮したアイリスがひと(きわ)大きな声を上げた。

「なんてことかしら!まさにユーリエ騎士団長と、レジスタンスのヒロイン、アリエルの出会いにそっくりだわッ!」

そこで、聞き慣れない人物の名を聞いたトリスタンが首を(かたむ)ける。

「ユーリエ騎士団長?どこの騎士団の人だ?」
「ああ、気にするな。存在してねぇから」

と、シグリッドが真顔で付け加えるも、恋愛小説にかぶれた妻の妄想は荒ぶるばかり。
ラウラは、天真爛漫(てんしんらんまん)なアイリスの姿を見て肩を(すく)めた。

「私、アイリスさんとお会いしてからずっと思っていたのだけど、いつも己の気持ちに素直で、ストレートに想いを表現できる貴女を心から尊敬できますわ。私も、貴女のような人になりたい…」
「「え…」」

と、思わず声が重なってしまったのは、シグリッドとトリスタンだった。
()められて機嫌を良くしたのはアイリスで、彼女はいつものように都合良く言葉を(とら)え、嬉しそうに両手で己の(ほお)を包み込んだ。

「そんなー…素直で表現力豊かで、妄想癖(もうそうへき)すら感心できる(とうと)い妻だなんてー…言い過ぎです!ラウラさんったら!」
「だから、言い過ぎなんだよ、お前はいつも」

恥じらって体を揺らすアイリスに、シグリッドが半眼で突っ込む。
相変わらずアイリスを羨望(せんぼう)の眼差しで見詰めるラウラを見て、何か彼女の新しい扉を開いてしまったのではないかと、何故かシグリッドが少し申し訳ないような気になり苦笑いを浮かべた。

そこで、エレックが、シグリッドとトリスタンを交互に見遣り、ふっと噴き出すと、彼らと肩を組んで愉快そうに笑った。

「オメーら二人!大した嫁を貰ったもんだよ!ガハハハハッ!」

風が走る草原。シグリッドは、トリスタンとエレックを見遣ると、(こころざ)し同じくした者達と、肩を並べた()りし日の騎士団での日々を思い出し、揺れる緑を眺めながら、ふっと笑みを浮かべた。
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