その笑顔を守るために
予兆
「院長…原田先生、到着しました。」

ノックをして、孝太が先にドアをくぐると、中から大きな声が響いた。

「やあーお疲れ様!瑠唯ちゃんもよく来たねー。長旅、大変だったろ?」

「はじめまして、原田瑠唯です。この度は大野先生の紹介でお世話になります。」

後に続いた瑠唯が、そう言って頭を下げる。

「とりあえずかけて…今、お茶を用意させるから。若い人はコーヒーがいいかな?」

どことなく父親を連想させる柔らかい物腰の50代後半の紳士…と言うのが第一印象…

「どうぞ、お構いなく。…あの…これ…大野先生からお預かりしてきました。」と一通の手紙を差し出した。

それにさっと目を通した院長は穏やかに微笑む。

「ああ…話は聞いているよ。君の実力もよく聞いている。それにね僕らははじめましてではないんだよ。ご両親の葬儀でね、それ以前も君の小さい時に何度か会っているよ。」

「あっ…」

瑠唯は、はっとして顔をあげ、高山院長に視線を向ける。

「そう…でしたか。申し訳ありません。」

「いやいや…あの時は突然の事で君も大変だったろう。ご両親の事は本当に残念だったね。それよりも僕の方こそ、君の事を気ががりに思いながら今日まで何もできずに本当に申し訳なかったと思っているんだよ。君のお父さんとは学生の頃からの親友だったというのにね。」

大河原忠仁…瑠唯の父親は日本でいちにを争う脳外科医だった。
「神の手ーゴットハンド」と称される父の手術を受けるため、日本中…いや世界中の患者からの依頼が後を絶たなかった。数多くの手術依頼を父は一件一件真摯に受け止め、出来る限りの手術をこなしていた。そんな父を支えるために、母は各所に赴く父に可能な限り同行していた。あの事故の時も依頼のあった手術を終えて帰宅する途中だったのだ。
大きな手術を抱えて更に往復の運転は大変だから、電車にすればと勧める瑠唯に…
「何時も付き合ってくれる母さんを慰労するために、温泉にでも寄ってくるから…」と車で行ったのだ。そして…事故がおきた…

瑠唯が名乗る「原田」姓は母の旧姓だ。親のななひかりと言われるのが嫌だった。自身の努力と実力で医者になりたかった。それで大学入学時から原田姓を名乗っている。この事を知る人間はそう多くはいない。

並びで腰を下ろしていた孝太の胸元で幾何音がする。
「失礼…」と断り電話に出た表情が険しくなった。

電話の向こうの看護師が告げる。

『長谷川先生…お休みのところすみません…以前、救急で先生が担当された患者さんが、今、ERにいらしてて…出来れば長谷川先生にお願いしたいとのことなのですが…』

「どの患者さん?」

『…あの…リストカットの…今回は…オーバードーズです。』

「わかった…すぐ行く」
「すみません、院長…急患で…」

「ああ…いいよ…休みなのに悪いね。瑠唯ちゃんの迎えも助かったよ。今日は出勤扱いにしなさい。後日、代休とって…」

「ありがとうございます。そうさせてもらいます。」

院長と一対一で話題に窮する事になりそうだと感じた瑠唯は…

「手伝いましょうか?」

「そうしてもらえると助かる。オーバードーズで…多分…胃洗浄になると思う。…院長…よろしいですか?」

「ああ…瑠唯ちゃんさえよければ構わないよ。職員登録は今日からになってるからね。よろしく頼むよ。」

「わかりました。では、今日はこれで…」

「あっ…それと、寮の事とか、今後の事とか、色々あるから、後で担当の女性をERの方に回すからその人に案内してもらって。終わったら今日はゆっくり休んで、後のことは、明日にでもゆっくり話しをしよう。大野君の事もあるしね。」

「わかりました。よろしくお願いします。」





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