その笑顔を守るために
瑠唯が高山総合病院で勤務し始めてから三週間が経っていた。明日からはもう六月だ。蒸し蒸しとした日も日毎に増えてきている。
朝から高山に呼び出され、院長室に赴いた。

「やあ…瑠唯ちゃん…朝から悪いねぇ〜」

相変わらずの瑠唯ちゃん呼びに苦笑する。

「明日、大野くんが帰って来るよ!」

「ああ…はい!昨日メールがありました。午前九時に成田着だそうです。」

「迎えに行っておいで。」

「えっ?私がですか?駅まで?でも…私、車運転できません。」

「いや…成田迄…長谷川先生に頼んで車出してもらうから、息抜きがてらドライブついでに大野くん迎えに行ってきて!」

「はぁ…」

瑠唯は曖昧な返事をした。帰国の際駅から病院迄の十数分ですら気まずかったのだ。帰りはともかく行きの車で孝太と二人きりとは、息抜きどころかストレス以外の何物でもない様な気がする。

「明日は休みを取って久しぶりにリフレッシュしておいで!」

何も知らない院長の迷惑な計らいが恨めしい。


その後午前の外来をこなしてERを訪れた瑠唯を見つけて孝太が声をかける。

「おっ!原田先生!聞いた?明日のデートの話…」

何故か物凄く楽しそうだ。
「デート」の響きにその場にいた看護師達が反応する。

「ええー!やっぱりお二人ってそーゆー仲だったんですか〜?前々から噂になってたんですよ〜もしかしたら原田先生って長谷川先生の元カノだったんじゃ無いかって〜」

「そうなんだよねぇ〜ってか、今も口説いてる最中なんだけど…」

楽しそうに孝太が話に乗っかる。看護師達の興味半分、嫉妬半分の視線が痛い。

「止めて下さいよ!長谷川先生!それに!口説かれてません!」

瑠唯が猛烈と抗議する。

「ええーあんなにわかりやすく口説いてるのにー相変わらず鈍感だなぁ〜」と、口を尖らせる孝太。

何が鈍感なんだか、相変わらずなんだか、全くわからない。

「それはそうと、明日朝、七時出発でいい?駐車場で持ってるから」

その言葉に看護師の一人が鋭い視線を向ける。確か内海さんだったか…

「本当にデートされるんですか?」

「違います!明日、帰国される大野先生を成田までお迎えに行くよう院長から言われまして…」

慌てて瑠唯がそう答えた。

「ええっ?明日いらっしゃるんですねぇ大野先生!」

そう言って、瑠唯に意味ありげな視線を送ったのは外科の篠田と言う医師だ。孝太の同期で脳外の専攻を目指しているらしく加藤部長も目をかけていると言われてる若手のホープだ。今日はERの担当なのだろうか。
本人もそれなりに自負があるらしく、若干年下の瑠唯に何かと挑戦的な言動をとることがある。瑠唯の悩みの種のひとつだ。
瑠唯は小さくため息をつくと

「はい。そのようです。」とだけ答えた。

そこへ…受け入れの要請が入る。

『十一歳男児。激しい嘔吐と腹痛を訴えています。意識レベル1。受け入れお願い出来ますか?』

「了解しました。」

直ぐ様孝太が答えた。すると続けて、

『六十三歳男性。路上にて意識不明の状態。意識レベル3。受け入れお願い出来ますか?』

「了解しました。」

「悪い!原田先生!手を貸して!」

「はい!わかりました!」

間もなく運び込まれて着たのは、後から要請のあった男性で、直ぐ様孝太が駆け寄る。

「分かりますかー?此処は病院です!医師の長谷川と言います。お名前言えますか?」

男性は微かに呻く程度でほとんど反応がない。

「山川さん!ラインとって!」

篠田が目をみる。

「直ぐにCTとって!」

そう叫んだ。

脳梗塞か何かだろうか?男性はストレッチャーに乗せられてCT室へと向かった。

続いて先に要請のあった男の子が運び込まれてきた。

「原田先生!お願い出来る?」

孝太の指示に従う。

「付き添いの方はいらっしゃいますか?」

瑠唯の問いかけに、若い男性が応えた。

「あの…担任の梅木と言います。彼は、受け持ちの佐竹進くんと言いまして…お母さんが、こちらに看護師さんとしてお勤めされています。給食後に急に吐いて、お腹が痛いと苦しみだしたのですが…」

「佐竹…?あっ師長の息子さん?誰か!佐竹師長探してきて!」

「進くん!わかるー?医師の原田と言います。今お母さん来るからね!何処が痛いのか教えてくれる?」

すると進は微かに見揃いで右の下腹を抑える。

「ここ…ここがすごく痛い…」

声も掠れて苦しそうだ。脂汗もかいている。
其処を何箇所か手で探った瑠唯が、側の看護師に指示を飛ばした。

「ラインとって!それから血液検査して!多分アッペだと思う。」

そこへ看護師長の佐竹が駆けつけてきた。

「進…進…大丈夫?お腹痛いの?」

何時も冷静沈黙な佐竹にしては珍しく動揺を隠せていない。

「あっ!お母さん!…僕、大丈夫だよ!ちょっと…給食食べ過ぎちゃったのかも…」

無理やり笑顔をみせている姿が痛々しい。

「佐竹師長…進くん、今朝どんな感じでした?かわった様子はありませんでしたか?」

瑠唯の問いかけに、佐竹も少し冷静さを取り戻して…

「そう言えば…昨日からちょっと元気がなかったかもしれません…学校で何かあったのかとも思ったのですが…本人が何ともないと言ってたので…」

「そうですか…あくまで触診ですが…おそらくアッペかと…この様子だとちょっと危険なので、直ぐオペした方がいいと思いますが…よろしいですか?」

「はい!お願いします!」

そのやりとりを側で聞いていた篠田が…

「会話が出来る程度なら点滴で様子見てもいいんじゃないですか?それとも件数稼ぎでオペします?アッペのオペなんて、アメリカ帰りの原田先生には楽勝でしょうから…おいしいですよねぇー」

ニヤニヤしながら言い放つ。
何とも嫌味ったらしい物言いだ。瑠唯は無言で処置を続けた。師長も憮然としているが、何も言わない。そこへ口を挟んだのが孝太だ。

「おい!篠田!言い過ぎだ!」

「何だよ!長谷川ー元カノに加勢かぁ〜」

「そんなんじゃねえよ!」

そんなやり取りも瑠唯はすべて無視して進の処置に集中する。
みるみるうちに進の顔は青ざめて会話もままならなくなった。これはまずい。

「師長…直ぐにオペ室押さえて貰えますか?後、麻酔科の先生も…全身麻酔でと伝えて下さい。」

その言葉を聞いた師長は、事の重大さを察して直ぐにERを飛び出して行く。

「それと…」

瑠唯は周りを見渡しそこにいた研修医…立花恵をみる。

「貴方…前立ち頼める?」

立花は一瞬目を見開くも直ぐ様

「はい!やります!お願いします!」

「じゃあ、直ぐ支度して!」

「進くん!これから手術でお腹から悪いところを取るからね!少し痛いけど、頑張って!お母さんも側にいるからね!」

瑠唯の呼びかけに、進はもうすでに答える気力もないようだ。









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