真白に包まれて眠りたい
44.「好き」そして「一緒にいたい」

 「君は一緒にいてくれる人が好きなんでしょ」
 これまでの人生の中で言われたことの中で、今でも覚えていることは非常に少ないと思う。その非常に少ない言葉のうちのひとつがこれだ。そしてその衝撃はとても大きかった。
 「どうして好きなのに一緒にいたいと思ってくれないの」という問いの答えとして彼が言った言葉。目から鱗とはこのことか、と思った。私は一緒にいてくれる人が好きらしい。
 この言葉を聞いて、衝撃を受けたものの、いまいち腑に落ちていなかった。結局、当たり前じゃん、と思っていた。
 今は少しだけわかった。「好き」と「一緒にいたい」は違う。

 私は彼が好きだ。それは絶対的で独立的なものだ。私に何かを与えてくれるから好きになったわけではない。彼の優しさや厳しさ、人を大切にするところ、自分の芯を強く持っているところ、そういうところが好きで、好きになった。もちろん、彼が私に多くを与えてくれるところも好きだ。だけど私は彼が好きなのであって、彼が与えてくれるものだけが好きなわけではない。だから、私は彼から返信が来なくても、彼が私を好きだと言わなくても、私は彼のことが好きだ。私への言動は関係しない。
 一方、一緒にいたいというのは、彼の私に対する言動が関与してくる。一緒にいるということは互いの言動が影響を与え合う。彼のことは好きでも、彼が煙草を吸うのは好きではないし、彼が私をお前と呼ぶのも好きではない。
 ここで考えるのは、それぞれの思う”幸せ”だ。彼が私をお前と呼ぶのは、愛情の証だそうだ。しかし、私はその愛を差し出されても、それを愛と思うことはできない。愛として受け取ることはできない。彼にとっての愛情表現は、私にとっては侮蔑だ。しかし、ここで私が、お前と呼ばないでほしい、と言ったとする。すると彼は、愛情表現の一種であるお前という二人称を使えなくなる。自分の好きな人をお前と呼ぶことが幸せな彼にとって、それは幸せを失うことになる。これはほんの小さな一例だが、これが積もれば、二人は幸せを感じるのが難しくなってくる。私にとっての幸せを差し出しても、それは相手にとっての憂鬱。相手にとっての幸せを差し出されても、それは私にとっての不快。だから、この幸せの価値観が合わない人間関係は、幸せを生まない。
 私は彼が好きだ。だけど、もう彼と一緒にいたいとは思えなくなった。私の差し出すあなたの幸せのための行動を、彼は幸せとして受け取れない。彼が差し出すそれは、私にとっては我慢の種。私は彼を幸せにできないし、私も彼から幸せを受け取れない。私たちは一緒にいても幸せになれない。
 だけど、それでも離れられないのは、少しの執着と、喪失への恐怖と、それと、たまに幸せの価値観が嚙み合ったときの、あの幸せを、いつまでももう一度期待してしまうからだ。

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