一夜の甘い夢のはず
「室生ほど運転は上手くありませんが、ご了承ください」

「いえっ……」

 桜雅さんが選んだスカーフを首に巻いたまま、私は運転席から頭を下げる桜雅さんに首を振り、助手席のシートベルトを締める。

「お食事でもと思うのですが、よろしいですか?」

「はいっ、ありがとうございます!」

「こちらこそ、ありがとうございます。では、出発いたしますね」

 桜雅さんがやわらかな笑顔を私に向けて、西日除けのサングラスを掛けて車を発進させた。
 サングラスなんて気障(キザ)なアイテムだなって思ってしまう私は、実年齢よりも古い感性なのかも。安全運転のために自然に使いこなす姿に、反省する。
 駐車スペースを出て、車は滑らかに大通りを進んでいく。
 車は室生さんが運転していたものそのままだった。同じ車を運転していても、やっぱり運転する人によって乗り心地は違うだなって思う。
 桜雅さんの運転は凄く丁寧だった。ブレーキの踏み方とか、周囲の確認とか、手癖みたいなのが出そうなものなのに教習所で習った通りお手本通りって感じだった。
 室生さんみたいに動静がわからないような超絶技巧じゃないけど、ブレーキの踏み方一つでも柔らかくて優しい。

「すみません……」

 心地よさに酔いしれていると、無理な横断をしようとした歩行者に桜雅さんがブレーキを強く踏んだ。
 私を庇う左腕に、優しい声。

「いえ……」

 私は赤くなって、助手席のシートに身をうずめるしかない。

 桜雅さんはきっと、すごい家柄の人だ。この間は冗談半分であんなことを考えていたけど、たぶん本当に社長の息子とかそういうポジションの人なんだと思う。
 そんな人が私をデートに誘うなんて。
 きっと、これは夢。今日だけの、甘い夢。
 桜雅さんみたいな人には許嫁とかそういう人がきっといるだろう。相応しい家柄の、身分の釣り合った令嬢。桜雅さんはそういう物語みたいな世界で生きる人だと思う。
 桜雅さんの横顔を見つめ、ゆっくりと瞬きをする。
 今この瞬間を、胸に焼き付けよう。
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