恋は秘密のその先に
「ああ、もう、疲れた……」

 午前の会議を終えて副社長室に戻った文哉は、ぐったりとデスクに顔を突っ伏す。

 住谷がいない為、朝から自分で予定を確認し、時間を気にしながら遅刻せずに会議室に行ったまでは良かったが、必要な資料が手元になく話についていけなかった。

 話を聞きながらパソコンで資料を探し、ようやく開いたところでまた議題が変わる。

 必死で格闘していると、ふと正面の壁に立っている住谷の視線を感じた。

 住谷は文哉にニヤリと笑ってみせたあと、素知らぬフリをしてまたタブレットに視線を落とす。

 (あいつめーー!!)

 頭が沸騰しそうになりながら、なんとか会議を終えて戻って来たが、すぐに受付から内線電話がかかって来る。

「お客様がエントランスにお見えです」
「ああ、今行く」

 アポの時間だったのを思い出し、文哉はエレベーターで1階まで下りた。

 挨拶を交わして副社長室に案内しようとしてから、ふと、お茶の準備が出来ないことを思い出す。

 仕方なく、アトリウムラウンジで話をすることにした。

 たまたま誰もいなかった為、そのまま入り口を閉じて誰にも話を聞かれないようにする。

 無事に話を終えてお客様をエントランスまで見送ると、副社長室には大量のFAXが届いていた。

「何なんだよ! このご時世にFAXなんて!」

 1枚1枚に目を通していると、今度はオンラインミーティングが始まる時間に気づく。

「ヤバッ!」

 慌ててパソコンの前に座り、オンラインに繋いで涼しい顔で会議を始めた。

 (喉が、カラカラだ……。腹もペコペコ……)

 もはやミーティングの内容も頭に入ってこない。
 もちろん資料も手元には準備出来なかった。

 (あと30分。これが終わったら、とにかくコンビニで何か買って来よう)

 授業に身が入らない小学生のように、文哉はソワソワと時計を見ながら考える。

「お、終わった。水、水をくれー」

 バタッとデスクに顔を伏せ、誰にともなく呟く。

 なんとか気力を振り絞り、飲み物を買いに行こうと立ち上がった時だった。

 デスクの上の電話がプルッと鳴る。

「あー、もう、誰だよ!」

 無視したくなるが、勢いで受話器を上げた。

「もしもしっ!?」
「お疲れ様です。人事部の阿部です」
「えっ! あ、うん」

 途端に文哉はプシューと頭から蒸気が抜ける。

「先日の件でお返事をさせていただきたく、お電話を差し上げました。今、少しお時間よろしいでしょうか?」
「あ、ああ、もちろん」

 文哉は席に座り直して姿勢を正した。

「あれから色々と考えました。私に本当に副社長秘書が務まるかどうかということも気がかりでしたし……」
「それは! もちろん、大丈夫だ。俺がお願いしたのだから」
「はい、ありがとうございます。そして私のやりたいことについても考えました。キュリアスのお仕事に携わっていた時のことも思い出して……」

 文哉はゴクリと唾を飲み込む。

「それは、やはり……。大変だったからもうコリゴリだと?」
「おっしゃる通り、大変でした」

 そうか……と、文哉は肩を落とす。

「ですが、とてもやり甲斐があり、やり遂げた時の達成感は格別でした。チームの皆さんと力を合わせて、皆で心を一つにしてがんばったあのお仕事は、私の大切な財産です。チームに入れてくださった副社長に、感謝の気持ちでいっぱいです」
「いや、そんなことは……。こちらこそ大いに助けてもらった」
「今、改めて思い返して気づきました。私は副社長室でのお仕事が好きです。誰よりも近い場所で、副社長のサポートをしていきたいです。これからも、ずっと」
「えっ……」

 不覚にも、文哉の目に涙が込み上げてくる。

「じ、じゃあ、戻って来てくれるのか?」
「はい。微力ながら、精一杯努めさせていただきたいと思います」
「そうか。ありがとう! 本当にありがとう……」

 電話で良かった、と文哉は思う。
 今、必死で涙を堪えていることも、嬉しさの余り手がかすかに震えていることも、真里亜に気づかれずに済むから。

「こちらこそ、お声掛けいただきありがとうございました。よろしくお願いいたします」

 それで、いつからそちらに異動になるでしょうか?と尋ねる真里亜に、文哉は考えるよりも先に、今すぐ!と答えていた。
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