恋は秘密のその先に
文哉と真里亜のチャット攻防はまだ続いていた。

と言っても、文哉の攻撃を真里亜は素知らぬフリでかわす、つまり未読スルーを貫いていた。

(でもさすがに大人気ないな。早く仕上げてフォルダに戻そう)

真里亜はその日のうちに資料を仕上げようと、誰もいなくなった人事部で一人残業していた。

「よし!出来た」

確認を終えてから、真里亜はファイルを共有フォルダに戻した。

文哉にその旨を伝え、確認をお願いしようとチャットに文字を入力していると、先に向こうから着信があった。

『ファイルは預かった。早く帰れ』

娘は預かった。金をよこせ、の見間違いかともう一度読み返す。

するとすぐにまた次の文が送られてきた。

『智史に車で送らせる。エントランスで待て』

これまた、身代金の受け渡しを指示するような文面だった。

(なんなのよ、もう…)

真里亜はパソコンを閉じると鞄を持って1階に下りる。

エントランスから外に出てロータリーで待っていると、すぐに見慣れた車が目の前に止まった。

「真里亜ちゃん、お疲れ様。さ、乗って」
「ありがとうございます、住谷さん」

後部座席に座ると、真里亜はふうと息をつく。

身体は疲れ果てており、電車で帰ることを考えたら、車で送ってもらえるのは心底有り難かった。

「真里亜ちゃん、資料一人で作ってくれたんだね。ありがとう」
「あ、いえ。子どもみたいに意地を張って、申し訳ありませんでした」
「いや。真里亜ちゃんをいきなりチームから外した文哉が悪いんだから。それにあいつ、真里亜ちゃんの作った資料を見て、さすがだなってボソッと呟いてたよ」

え…と、真里亜は思わぬ話に言葉を失う。

「あいつは誰よりも真里亜ちゃんのことを信頼してる。真里亜ちゃんは、あいつにとってなくてはならない存在なんだ。でも頑なにそれを認めない。やれやれ。だから俺があいつと…、なんて妙な誤解までされたんだ。早く素直になれってーの!」

誰にともなくそう言うと、住谷は真里亜に話しかける。

「真里亜ちゃん。戻って来てくれない?副社長室に」
「え、でも。副社長が許しませんよね?」
「俺が説得する。せめてキュリアスの仕事が終わるまではって。それに実際、キュリアスから真里亜ちゃん宛に電話やメールの問い合わせも多いんだ。このままだと支障が出る。真里亜ちゃんは?このままチームから外れても構わないと思ってるの?」
「いえ!チームに戻って最後までやり遂げたいです」
「それなら、副社長室に戻って欲しい」

真里亜はうつむいてじっと考える。

「文哉は必ず説得するから。ね?」
「あの、住谷さん。私、チームには戻りたいですが、副社長室には戻りません」

真里亜の言葉に、住谷は、え…と絶句する。

「どうして?文哉には俺から、戻って来いって言わせるから」
「いいえ。たとえ副社長にそう言われても、私は戻りません。人事部でキュリアスの仕事を続けさせてもらいます。キュリアスとの連絡も、仕事用のスマホでやり取りしますから」

なぜ?と言いたげな住谷に、真里亜はこれ以上お話することはない、とばかりに窓の外に目をやる。

実際、なぜ?と聞かれても、返事に困るだけだった。

どうしてなのか、自分でもよく分からない。
だが、文哉とは少し距離を置かなければ…。
このままでは、自分は文哉から離れられなくなる。

真里亜はそんな気がしていた。
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