アンハッピー・ウエディング〜後編〜
後悔先に立たず、とはこのことである。

寿々花さんに任せっきりにせずに、俺も手を貸すべきだった。

寿々花さんが熱心に読んでいたこの本を、俺も見せてもらうべきだったのだ。

そうすれば、この本がただのレシピ本じゃないことに気づけただろうに。

「…」

俺は無言で、ぺらぺらと本のページを捲ってみた。

何ページにも渡って、いくつも細かな作業工程が記されている。

ふーん。いかにも面倒臭そう。

これの何が「猿でも分かる!」だよ。

カカオ豆を焙煎して自作のチョコレートが作れる猿がいたら、それはもう猿を超越したバケモノだ。

それから、改めて寿々花さんが持っている、カカオ豆の入ったビニール袋を見つめる。

これがカカオ豆…ねぇ。

見たことあるか?人生で。カカオ豆。

コーヒー豆なら、喫茶店で売ってるのを見たことがあるけど。

さすがに、カカオ豆を見たのはこれが初めてだ。

見た目だけじゃ、とてもそうとは分からないな。

しかし、ビニール袋に入れられていても、微かにチョコレートの匂いが漂ってくる…ような気がする。

この時点で既に、チョコレートの香りを感じる。

もうこのまま、カカオ豆の状態でプレゼントしても良いんじゃないかなぁ。

「この…カカオ豆って、何処で買ってきたんだ…?」

そこら辺のスーパーで売られている…はずがないよな。当たり前。

何処に売ってるんだろう。カカオ豆なんて。

チョコレート専門店とか?

「お店ではなかなか売ってないから、輸入販売のお店から通信販売で買ったよ」

だってさ。

まぁ、そうでもしないと手に入らないよな。カカオ豆なんて。

よく見たら、段ボール箱やビニール袋に書かれている文字も、日本語じゃない。

それって何語?寿々花さん、読めるんだろうか。

つーか、本気でカカオ豆の状態からチョコを作るつもりなのか。

一発勝負で、未経験の素人に出来るものなのだろうか…?

…無理だったら、スーパーで板チョコ買ってきて渡せばいっか。

などという投げやりなことを、ぼんやりした頭で考えていたら。

「…悠理君、何だか元気がない…。もしかして、私また変なことやっちゃった…?」

「…」

リアルで、「私また何かやっちゃいました?」って言ってる人、初めて見た。

あぁ。あんたはいつも、色んなことをやっちゃってるよ。

「はっ、そうか。分かった」

そうだよ。気づいたようだな。

いくらバレンタインだからって、カカオ豆からチョコレートを作るような無謀な馬鹿が何処に、

「ごめんね。悠理君がガーナ産のカカオ豆が嫌いだとは知らなくて。やっぱりエクアドル産のカカオ豆にすればよかっ、」

「違う、寿々花さん。そうじゃない」

ズレてる。めちゃくちゃズレてるぞ。

俺は決して、カカオ豆の産地について文句を言ってるんじゃない。

産地による違いなんてあるの?何処で育てても大して変わらないもんだと思ってた。

風味の違いとか?品種の違いとか?そういうのもあるのだろうか。

全然知らないけど、しかしそんなことはこの際、どうでも良いのだ。
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