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22.登山の経験

「ライナック山は、それ程高い山ではありません。しかしながら、気軽に登れる山でもありませんでした。しかし、当時の父も僕も気楽に考えていたのです。伝統的な登山で、問題があったとは聞いたことがありませんでしたから」

 ラルード様は、天を仰ぎながらそっと話を始めた。
 当時のことを思い出しているのだろう。その口調はゆっくりだ。

「登山は途中までは順調でした。天気のいい日に出発して、もちろん斜面を登っていくという辛さはありましたが、僕達は山頂について素晴らしい景色を楽しめると信じて疑っていなかったのです」
「……そうはならなかったのですか?」
「ええ、突然の雨に見舞われたのです」

 ラルード様は、そこで外の景色を見た。
 降り続いている雨に、彼は少し怯えているような気がする。まだ何かあったかはわからないが、当時の恐怖を思い出しているということなのだろう。

「愚かなことに、僕達はその雨を最初あまり気にしなかったのです。その程度の雨なら、進んでいけると高を括って、登山を続行したのです。しかしながら、それは大きな過ちでした。伝統的に山に登っているというのに、僕達は雨の恐ろしさをわかっていなかった」
「……何が起こったのですか?」
「雨はどんどんと勢いを増していきました。そこで僕達はやっと、その雨が只事ではないと思ったのです。故に引き返す選択をしました。ただ、雨によって辺りはとても暗かった。そのため僕達は、下山の正規ルートから外れてしまった」
「それは……」

 山に登って、何かあったと聞いた時から、ある程度は予測していた。
 しかしながら、実際にその事実を聞かされると身が震えてしまう。
 要するに、ラルード様達は遭難してしまったのだ。山での遭難、体験したことはないが、知識として知っているため、私は恐怖してしまう。

「しばらく歩いてから、僕達は正規のルートから外れていることに気付きました。雨は勢いを増していて、どこに行けばいいかわからない。状況は最悪でした。僕達は動かないことが賢明だと判断して、とにかく雨が止むのを願いました。身を寄せ合って、じっとしていたのです」
「……雨の中、ですか?」
「ええ、あの時はとにかく寒かったということをよく覚えています。どんどんと体温を失っていって、もしかしたら死ぬのかもしれないと、心が折れそうになりました」

 ラルード様の話を聞いた私は、自分がとても愚かな選択をしようとしていたことを理解した。
 この雨の中で動こうなんて、もうまったく思わない。エンティリア伯爵家の人達には悪いが、ここで雨宿りさせてもらうことにしよう。
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