バー・アンバー 第一巻
君は何者?

入って来た初老の男

手際よく俺と同じオンザロックのダブルをこさえると「じゃあね、カンパーイ」と俺のグラスに合わせ、一口飲んでから「クーっ、うまい!」と云って両目をつぶり、空いた手の方を鳥のようにバタつかせる。俺が機嫌よく笑うのに「ウフフ。それでね林さん、あなたピュグマリオンの彫像の方の気持ち考えたことある?」「え?彫像の気持ち?」「ええ、そう。彫像をこさえたピュグマリオン王じゃなくって、造られた側の彫像の気持ち…って云うか、王に応えようとする…ううん、じゃなくって、応えなくっちゃあとする気持ちね。創造主に対する被創造物の関係かな。神様と人間になるのかな。どう?」こんなインテリジェンスな質問をぶつけてくるとは予期してなかった。さてもどう答えるか、第一こんな質問をぶつけてくる彼女の意図は…等々をさぐりながら「うーん、そうねえ。彫像が造り手の意図に応えるように仕組まれているものならば、つまりプログラマーに対するシステムのようなものならば、そりゃ造り手に応えるだろうな。無機的にね。だけど…違うんでしょ?ピュグマリオンの像は。無機が有機化する、粘土で造られた像が生命を持って人間の女となってしまう…のだったら、今度はその出来した生命の出所如何なんじゃないかなあ。未知の暗黒宇宙から突然来たものなのか、ハハハ、それともやっぱりピュグマリオン王の内部から来たものなのか…」。
 この時いきなり店のドアが開いた。うつむき加減でものも云わずに、初老と思しき男性が一人入店して来たのだった。正直俺は舌を打つ思いである。これから話が佳境に入ろうとする時に、ちっ、まったく入って来てくれるなよなあ、こんな真っ昼間から、どこの田吾作だか知らないが。などと自分勝手で虫のいいモノローグを心中でつぶやく。うなじあたりまで垂らした髪には白髪が結構まじっていて藍色の度付き眼鏡をかけている。52の俺より15,6才ほど年上だろうか。まあ、とにかく、これでミキの独占はお終いだと悟るしかなかった。
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