バー・アンバー 第一巻

指輪を渡すミキ

それにしてもいまさらのようにこれがもし先ほどの、ミキとの濃厚接触中のことだったらいったいどうなったのだろうか、などと思わず思念が行く。ミキも俺も密会中に夫と云うか、第三者にいきなり入り込まれたような塩梅となったのだろうか。ミキは知らず少なくとも俺に関してはそんな具合いになったのに違いない。で、そのミキなのだが、こちらは「いらっしゃいませ」の一言をかけるでもなく男に黙って頷いて、カウンター内から手提げ金庫を出しカウンターの上に置くのだった。その横に手にぶら下げたショルダーバッグを置くと、男はミキにではなく俺に「いらっしゃい。お楽しみのところすいませんね。私はつり銭を持って来ただけですぐ消えますから。ご心配なく」と言葉をかけた。俺は「い、いや、そんな…。ど、どうぞ、好きなだけ居てください。俺は、いや、私は…ただの一見(いちげん)で、まだ馴染みでも何でもないもんで。ハハハ」とかわしながら藍色の眼鏡の奥を探ったが当然判らず、無表情な面からも何も探れなかった。ただその声音からは余りいいものは伝わって来ず、何か官吏のような、他人とはいつも距離を置いているようなトーンが感じられた。ついでに云えば最前のミキとの濃厚接触を既に知っているぞ、とでもするような冷笑すら感じられて些か不気味でもある。この店のオーナーなのだろうか。
男はショルダーバッグから手提げ金庫の中にそれほどの額でもないと思われる種銭を入れると、ミキに「これで出納をやっておいてくれ」と云って無造作に渡し、続いて「あれを」とひとこと要求する。するとミキは右手の人差し指にはめた指輪をはずしそれを男に手渡すのだった。
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