バー・アンバー 第一巻

バーは貸し切りだった

その際俺の表情をさぐるように一瞬ミキが俺を見たが何のことだか俺にはわからない。チェック柄の中綿入れと思しき、藍色のジャケットのポケットにそれを入れると男は「では失礼しました。私はこれで。ごゆっくり」と俺に告げる。その際藍色の眼鏡の奥で片目をウインクしたように思われたがこちらも何の意味だか俺にはわからない。男への何か複雑で憎々し気でもあるミキの視線を背に受けながら男は悠然とドアを開けて出て行った。その際ドアを閉めたあとで表から鍵を閉める音がしたのだがなるほど内側のサムターンが見てる前で横になった。しかしということは入る時も男は鍵を開けて入って来たのだろうし、さらにということは俺を招き入れた直後にミキ自身が鍵を閉めていたのだ。端から今に至るまですっかり夢見心地になっていた俺が気づかなかっただけのことである。つまりバーは俺への貸し切りだったのだ。
「ゴメナサイネタムラサン。オハナシノトチュデ。サキノハナシ、ツヅケテクダサイ」つり銭の額を確かめることもなく手持ち金庫をカウンターの下にしまいながらミキがまたもやたどたどしい口調に戻って俺に話の続きを要求する。再三のことでミキの変調には驚かなかったし、むしろ変調するその分けに俺は気づきかけていた。どうもミキがふざけて云ったと思っていた「田村さん、やさしそうだから…」あたりのことなのだろう。
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