バー・アンバー 第一巻

なぜ、俺なのだろう?

俺は心中で独白せざるを得ない…。
『ああ、そうだ。イブの歌っていることは本当だ。彼女はここで絶え間なく糸を紡ぎ、布を織ってくれていたのだ。この俺のために!…それなのに俺は、この無垢なる糸を、布を、世の中に媚びたり突っ張たりしな
がら、そんな、ただ浅薄でしかない己(おのれ)を虚飾せしめ、見せびらさんがためだけに仕立て上げ、着込んでいた。畢竟変形させ、汚しながら使っていたのだ。そしておそらく、そうすることでその都度、イブの織った清浄な布は消えていたのだろう。この醜い俺の自我我欲と自己保存の心に調和できず、それと相殺する形で…』
「ごめんなさい…」俺は思わず(感極まって?)イブに詫びていた。この糸は、布は天上の光そのものだ。そしてそれを受ける、器たる人の心が、つまり俺の心が汚れていれば光まで汚れ煤けてしまうのだろう。それにもめげずイブはずっと糸を紡ぎ布を織り続けてくれていたのだ。ひょっとしてイブの裸の分けも…自分の服までも、糸に解いて?…。俺はもう「この野郎!」とばかりおのれをどやしたくなる。実際こんなこととはまったく知らなかったのだ。土台知りようがあろうか?俺のみならずこの世に生きるすべての人間においてだが。毎日毎日利欲と自己保存に明け暮れる俺やあなたの為に、無心に天上の光を送り続けている存在があることなど、そも誰も思いもしないだろう。そのようなすでに〝デフォルトになっている〟ところの、ただひたすらに自己中心的な我々の生活パターンの中で、これに気づくことなど至難の業だ。いまの俺のような、彼の「クリスマスキャロル」中のゴーストによる諭しとでも云うべき、このような目に会わなければ恐らく誰も終生気づくまい。だがそれからすれば〝なぜ、俺なのだろう?〟と不審に思わざるを得ない。なぜ俺だけこのような目に会うのか?…い、いや、会うことができたのだろうか?と。あのバー・アンバーで貸し切り接待を受けた時と同じ疑問をもよおす俺が居た。ぜんたいミキから頭に打たれたあの注射、中に仕込まれていただろう麻薬のせいなのか?もしそうなら畢竟アイツの、初老の黒メガネ野郎のお陰ということになるが…そんなバカな!奴は悪そのものだろうし、そんなことは笑止でしかない。
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