水槽の人魚は、13年越しの愛に溺れる
 碧がいつ里海をやめたのか。真央は推測することしかできないけれど──12年前、入社3年目だった碧が戻ってきてくれたのならば。飼育員としてのブランクがあれども、貴重な戦力になりうるのは間違いない。



「海里が紫京院グループの手を掴んだ時点で、負け戦なんだよ」

「私が皆さんを、勝ち馬に乗せます!その土俵は私が、みんなと一緒に作りました。これから先は、海里の仲間である皆さんが、海里と一緒になって作り上げて行くべきです。今後の為にも!」

「今後なんてねーよ」

「あります!私は、諦めません。お願いします。碧さん。みなさんと一緒に。今の里海水族館を見に来てください。お客さんでいっぱいの里海水族館。碧さんだって見たいですよね!?碧さんが里海で働いてくれるまで、私は何度でも、お願いしに来ますから!」

「碧!?人魚姫を土下座させるなど何を考えている!!クビになりたいのか!?」

「クビにしてください!」



 真央が床に膝を付き碧の前で頭を床にこすりつけた。不格好な土下座ではあるが、これには碧もぎょっとした様子で椅子を引く。

 穏やかなBGMが流れる社食で、金髪女性が土下座しているのは目を引くらしい。視線が痛いと碧が真央の腕を引っ張ろうとした所で、身なりの整ったスーツ姿の男性が真央を人魚姫と呼んだ。

 真央が碧の代わりにクビにしてくれと叫んだことにより、スーツ姿の男性は狼狽えた。



「な、人魚は人魚でも……、声が……違うではないか……!」

「社長に辞めさせろなんて、直談判するやつがどこにいるんだよ!?」

「ここにいます!里海に戻ってきてください!」

「俺の人魚姫を騙る不届き者、なのか……?いや、でもこのサラサラの金髪は間違いなく俺の人魚姫だ……っ!」

「ひゃ……っ!?」

「おいコラァ!何やってんだ!セクハラ社長!そいつはお前の人魚姫じゃねーよ!ふつーの人魚だ!アホ!」

「普通の……?人魚にも姫と普通がいるのか……?」



 何を言われているかさっぱりわからない。男性は真央の髪に触れると、真央を人魚姫と定義づけた。突然髪に触れられた真央は顔を上げる。どこかで見覚えある顔だが、具体的に何処だったかが思い出せなかった。



「里海のショー、こいつは常連なんだよ。毎週土日、欠かさず通っていやがる」

「土日にしか姿を見せない俺の人魚姫……!ああ、会いたい……」

「あ。ええと。それ、妹ですよ。私は平日の担当です」

「むっ。君は、周りからの評判は高いが、俺の心がときめかない……偽物の人魚姫か!?」

「ガチモンのセクハラ、カマしてんじゃねーよ……」

「あはは……」



 真央はもう、笑うしかない。

 妹の所属する会社社長が、人魚姫と呼んでいることを知ってしまったのだ。

 心がときめかないと表現する辺り、妹に恋愛感情を抱いているのは間違いないだろう。

(これは大きな、ビジネスチャンスかも)

 真央は自分でなくて良かったと安堵しながらも、社長に向かって深々と頭を下げた。

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