桜ふたたび 後編
あの日、泣きながら母親の手に引かれて行った澪が、今は自らの意志でこの家を出て行こうとしている。
ついこの間まで、誠一に肩車されていたのに、月日の流れとは早いものだ。
いや、子どもが子どものままでいるはずもないのに、親の頭は時間を止めてしまうものらしい。
花火を両手に持ってはしゃぐなずなに、庭の白粉花が迷惑そうに花を縮めている。
しょうがない娘だと苦笑いしながら、なずなもいずれは私たちから巣立ってゆくのだと、春子は寂しく思った。
澪のときでさえこれなのだから、一人娘を嫁がせるとなったら、誠一は堪らないだろう。
誠一は焼酎を手に、仏壇の脇に飾られた一輪挿しの桔梗を、寂しげに見つめている。
澪が育てた花だ。畑を手伝うかたわら、庭にこつこつと花を植えていた。
あの娘の花好きは、祖母譲りだ。それに、一本気な性質も、姑に似たのかも知れない。
幼い頃の澪は、一度性根を据えたら絶対に諦めない、芯の強い子だった。
五キロの道のりを子どもの足で歩いて、姑の入院先へ一ヶ月間休まず通い続けたこともあった。
誠一にプレゼントするのだと、夜中まで港で船の絵を描き続け、みなで捜索したこともあった。
だから、誠一の気持ちは痛いほどわかる。
澪を迎えにきた男が、世間一般の普通の日本人なら(できれば中の上がいいけど)、諸手を挙げて祝福しただろう。身にそわぬ玉の輿に乗せられて、みすみす苦労をさせたくない。──それが親心だ。
澪を追いつめ、傷つけた原因が、彼が背負っているものにあるとわかっていて、誰が賛成できるだろうか。
──大丈夫ですよ。私たちだって、充分幸せじゃないですか。
遠い昔、春子もまた、「公務員の家のお嬢さんが、漁師の家に嫁いでも、苦労するばかりだ」と、周囲の大人たちから反対された。けれど、「彼さえいれば他に何も要らない」と、愛を信じて突っ走った。
若かった。その恥ずかしいほど青臭い情熱を、人はいつの間にか記憶の黒板から消してしまう。
仏壇の母を見つめる老ライオンのような背中が少し寂しくて、「私たちも年をとったな」と、しみじみ思う春子だった。