THE SUICIDE BRIDE 自殺因果の花嫁
 「仕事があるから、もう帰らないと」と僕は彼女に帰ることを告げた。だけど、本当はリサと離れるのが嫌だった。もっと彼女の側にいたいと思っていたけど、僕はやむを得ず駅へと向かった。

 その道のりは無尽蔵に長く感じ、駅の階段を登るたびに足は重く山を登るかのような辛さだった。

 階段を一段、また一段と上がるたび、足が重く感じる。
「やっぱり今日も泊まる」とリサに伝えたが、「今日はダメよ」と彼女には断られた。

 彼女の優しさを感じると、もっと彼女に触れて感じたくなる。

 彼女に対する愛しい気持ちが、側に居たいと言う気持ちと一緒になって、僕の心は、とにかくリサと一緒に時間を共有したいと言う思いが強くなっていた。

 改札まで見送ってくれたリサに手を振って、僕は一人ホームで電車を待った。
 

 家に帰るまで、ずっと彼女の優しさかった仕草や言葉を何度も思い出し、その度に暖かい気持ちになった。
 




 久々にマリーに連絡を取り、「相談したいことがあります。時間があるときに話しましょう」とメッセージを送った。

 仕事が終わった後、マリーと待ち合わせた。そして、リサと良い関係になれたことを伝えた。
 
 その話を聞いたマリーは驚きながらも、心から僕を祝福してくれた。マリーの支えがあってこそ、リサと仲良くなれたと感じていた。だからこそ、僕は心からの感謝の気持ちを伝えた。


 そして、寝顔を盗撮された事を報告すると、マリーは「そんな事、俺は何回もされてるわ」と笑いながら対応策を教えてくれた。

「向こうが最初に寝顔撮影したんだから、コッチも撮り返せば良いんだよ」僕は、さすがマリーだと感銘を受けた。

 僕にとっては人生が終わりかねない大事件だったのに、彼にとっては日常の一コマのようだった。
 
 寝顔と言う弱みを握られたなら、こっちも同じ様に相手の弱みを握れば良い。そうすれば、関係の均衡を保てる。

 これでリサに、自分に逆らえない弱い男と思われる事も無いし、寝顔をネットに流出される心配もない。

 胸の中に残っていた心配事が解消され、心から安堵できた。





 マリーが「ルナの事を覚えてるか?」と聞いて来た。

 ルナと言えば、リサと初めて逢った時に、少し話したマリーのファンの女の子だ」

 僕が覚えてると答えると、マリーが「アイツ、お前の事が気になってるらしい」と教えてくれた。

 マリーには六人の彼女が居て、ルナの事は全く構ってあげられないらしく、良かったら相手してやってくれとの事だ。




 僕が最後に女性と交際したのは、もう十年近く前の事だ。一度に複数の女性と関わるという考え方は、僕にとっては全く想像もつかなかった。

 戸惑う僕に、マリーは「女は男にとって無くてはならない杖みたいなものだ。一本しか杖が無かったら、その一本が折れたら歩けなくなる」と語った。

 マリーの話を聞いてると、たしかにそうだなと感じた。


 実際、リサと僕は恋人関係じゃ無いし、彼女自身も元彼から電話が掛かってくる関係を、未だに続けてる事は、喫茶店で目撃してた。

 そう思うと、僕自身もリサにとっての一つの杖な訳で、僕自身も杖の予備を確保しとく事に、何の罪悪感も抱く必要は無いと感じた。


 マリーいわくルナは、結構メンヘラ気味で面倒臭い所が有る。依存してくる前に、無しなら直ぐ関係を切った方が良いと、アドバイスを受けた。

 マリーは何度も念を押す様に、自分はルナと関係を持ってない事を強調した。

 マリーには別に付き合いたい本命の女性が居て、その人と付き合えるまでの繋ぎとして、数人の女性と関係を持っている状態らしい。
 
 そんな訳で束縛が強い女性だと、本命との恋愛に支障が出て困ると言うのだ。

 僕はマリーの事が羨ましかった。

 そんなに明確に、好きと思える女性と巡り逢えた事が奇跡だ。

 自分を好きな人を好きになる事は有っても、自分を愛してない人を好きになる事なんて、僕には今まで一度も体験した事が無かった。



 自分の事を好きになってくれる人としか、僕は恋愛に踏み出した事が無い。
 
 実際、リサともそうだったし、これまでに恋愛関係を結んだ全ての女性とは、出会ったその日の夜に、身体を重ねて、お互いの心を確認していた。

 僕が交際するのは、自分の事を好きだと言ってくれる女性だけだった。

 特定の人に愛されたいという願望から、自分を好きになってもらうために、努力や挑戦をするということは、一度経験をした事がなかった。

 女性に限らず、人間全般に対して、「この人が好きだから仲良くなりたい」と思ったことがない。僕の愛は、常に受け身だった。

 マリーとの出会いも、マリーが僕のライブを見て話しかけてくれた事がきっかけだった。自分から攻めて行くマリーと、攻めて来た相手の中から関係を築く僕。


 僕は自分では、何一つ挑戦できない。


 たまたま、容姿が悪く無く産まれ、家が名家だったおかげで良い格好が出来る。

 そのおかげで、寄って来てくれる人が居るから、友達や恋人が出来るだけで、僕自身から作ろうとした事なんて今まで一度も無い。

 やろうと思っても、とても出来ない。

 マリーは僕の出来ない事を全てやってる凄い人だ。


 僕達は、その後もナチスの陰謀論など、色々な事を語り合い、辺りもすっかり暗くなったので、また会う約束をして別れた。


 僕は人と会ってる時は一切、携帯電話を見ないので、鞄の中の携帯を取り出し着信を確認した。

 するとリサから何度か電話が有り、数件の連絡を催促するメッセージも届いていた。

 僕が事前に、今日はマリーと会う事を伝えて居たので、終わったら連絡が欲しいとは聞いて居た。

 僕がリサに、マリーとの用事が終わった事をメッセージで報告しようとしたタイミングで、リサから電話があった。


 電話に出ると酷く暗い、辛気臭い声で「会いたい」と伝えて来た。

 さすがに疲れて居たし、今日は帰って寝たい事を伝えた。

 後日、再び会うことを提案した僕に対し、「今日会ってくれないなら意味がない」とリサは涙ぐんだ。

 僕は、「今日は疲れているから、会ってもすぐに寝てしまうだけだよ」と正直に告げた。

 それでもリサは、「それでも構わないから、来てほしい」と懇願して来た。
 
 心底面倒くさかったけど、僕は彼女の家に向かうことにした。





 人の多い電車を乗り継ぎ向かってる最中に、疲れた足の痛みを感じながら、彼女がどうしてこんな無理難題を要求して来たのか考えてた。

 何か余程の事態が起きたのか、彼女にとって男を都合良く呼び付けるのは日常茶飯事なのか、僕には分からない。

 だけど、こんなに面倒なことが何度も続くのは、心の底から本当に嫌だと感じた。


 満員電車の中の人も、都心から離れる距離に応じて、徐々にベットタウンに吸い込まれて行く。

 すっかり人がまばらになって、快適な車内になって直ぐ彼女の最寄駅に着いた。

 リサの家は郊外の駅近のアパートで行き方は覚えて居た。


 家に着いてインターホンを鳴らすと、薄暗い部屋からリサが出て来て僕を抱きしめた。

 少しだけ煙臭い彼女の家に入り「どうしたの?」と尋ねた。

 彼女は「来てくれて有り難う」と答え、ずっと僕にくっ付いて居るだけだった。


 僕は、彼女の顔を見て、何故安心した表情をしてるのか考えてた。

 無理な呼び付けに応じてくれた事が嬉しかったのか、僕が側に居る状況に安心してるのかどっちなのだろう?

 彼女の要求に応える事が、彼女の安らぎに繋がるなら、リサの要求はどんどんエスカレートして行くだろう。

 会いたいと言う要求に応えるだけでも、かなりしんどい。


 こっちの都合や時間なんて、お構い無く呼び付けて来るのだから、今の時点でリサの要求に応えるのは限界だ。

 結婚したり、少なくても同棲でもしたら、多少はましになるのだろうか?

 でも、結婚したらしたで、仕事や生活に追われて、側に居ると言う要求に応じるのは、もっと難しくなるんじゃ無いかと思った。





 膝の上で気持ち良さそうに寝てるリサを、煩わしく感じた。

 結局は女性と一緒に居る事で、何らかの苦痛や我慢が生じる。

 その不自由に耐えてでも、彼女と一緒に居たいと、自分が思えるかが、大事だと感じた。

 それは、尋常じゃない程に彼女を愛して居ないと無理な話だ。

 僕は寝ているリサを見て、そこまでの愛を、彼女に対して抱いて居ないと感じた。


 ちょうど良い機会だと思い、僕は携帯電話で彼女の寝顔をこっそりと撮影した。

 これでいつでも彼女と別れることができると思い、何となく心が軽くなったように感じた。

 僕は彼女の無防備な寝顔を見つめながら、安心した顔で寝ている彼女の頭を優しく撫でた。
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